悠々談談

日々思うことを、つらづらと

英語

 生まれ育った広島県呉市広島市含めてミュージシャン、音楽関係者が多く育っている。坂田明小林克也矢沢永吉浜田省吾西城秀樹などが記憶に明らかなんだけど、多くのミュージシャンが出てきたのは、岩国の米軍基地の影響が大きいのかもしれない。基地そのものではなく、岩国基地から放送されてたFEN(現在はAFN)が聞けた影響もあるような気がする。私もよく聞いていて、土曜日午後、伝説のディスクジョッキー ウルフマンジャックのアメリカントップ40はわからないなりに、‘土曜日午後のお楽しみにしていた。

 そんな街に育った私だが、音楽には疎かった。音楽の方向には行かなかった。そのかわり、FENをかけっぱなしにしていてニュースとかなんのニュースだろうと聞き耳をたてていた。そして、さらに発展。当時流行していたBCLという趣味にハマった。海外放送を聞いて、受信報告を送り、その地のベリカードという受信確認記念の絵葉書といろんなグッズを送ってきた。受信報告と言っても最初は男性の声、女性の声とかしか書かなかったが、聞いているうちにニュースであることがわかったり、具体的なことがわかるようになった。

 中学校の頃から、こんな趣味を持っていたから、英語の授業は面白くなかったが、英語そのものは好きだった。呉という街は田舎の街だったが、駅に行くとJapanTimesやそのほかの英字新聞もあった。その中に、アジア圏の英語放送のスケジュールが書いてあったりして、それに合わせてラジオのダイヤルを合わせたものだ。

 私は学校教科としての英語は嫌いではなかったが、好きではなかった。そのせいで、大学受験も1浪したが、ただ、英語の基礎力はその時形作られたように思う。語彙などはその時の習得がいまだに残っている。そして映画も好きだったが、経理会計の世界に入り、偶然にも外資系の扉を開けてしまった。それからはOJTで英語を磨いていった。英語を話すことで違う価値観の人と触れ合うことができ、自分の価値観、世界観に影響を与えていったのは確かだと思う。

 

 ちなみに最近はアプリで昔のFENにあたるAFNスマホで聞いている。