悠々談談

日々思うことを、つらづらと

みんなフリーランスになればいいと言うわけではないのです

  9月18日NHKスペシャル。“中流危機”を越えて 「第1回 企業依存を抜け出せるか」を見た。その私の感想を書いてみたい。

 私は比較的小さい外資系企業でキャリアを積んできた。そして外資系ゲーム会社で突然日本法人が本社の考え一つで閉じられてしまった経験もあり、会社は当てにならない、何かを施してくれたわけでもないのだが、頼れるのは自分だけだというのが深く染みついている。

 日本の企業社会全体で見ると、やはり長くその会社に勤め上げたいという人がやはり多い。昨日の放送内では20代30代でもその傾向が強いとあった。ただ、これについては致し方ない面もある。30歳の社会人は、景気のいい日本、活力のある日本を知らない。どうしてもよらば大樹じゃないけど、勤める会社も大きなところを志向したくなるだろうし、その先を見据えれば冒険をおかしたくないと思うのも当然にも思える。冒険に失敗したらあとがない。でも、この安定志向のベクトルがこの番組のタイトルであった「企業依存」だと思う。

 でも、海外を見ればそんな思考は多数派ではない。以前、アップルの社員にインタビューをしているのをTVで見たことがある。自分は常に気が抜けない。自分のポストをあければ自分がそのぽすとをとってやるという人が社外に溢れているから、絶えず仕事に対して気が抜けないと言うのだ。そして会社も、そこで成果を出す社員には報奨金や年俸のアップで応じる。いわば会社と社員に緊張関係が存在する。アップルに入社できたから安泰だと言う発想はそのインタビューには感じられなかった。むろん、成果が出せなかったり、パフォーマンスが悪ければ解雇。逆に頑張って成果を出しても相応の評価がもらえなかった場合は、他社から引き抜きがあればそこでのオファーの金額を出して昇給交渉をする。決裂したら他社に移る。そこには定期昇給といった概念は存在しない。30歳の社員が40歳の社員の上司と言うのもザラだ。

 その点、日本はいったん大企業に入れば、よほどのことでもない限り辞めない。会社も辞めさせられない。たとえパフォーマンスが悪くても。でも、昨日の番組で見る限りそういった形で社員の生活を守ることが厳しくなってきている。世界と伍して商売をし、なおかつ勝ち抜いていくためには社員の生活を抱え、社員の雇用を保証するためのコストが限界にきていて、給与を減らさざるを得なくなっていると言うのだ。

 かといって先にあげたように、社員1人1人のパフォーマンスを図る物差しが日本の場合はない。それは大前提が給与の体系自体が新卒一括採用で22歳基準で給与体系が組まれているからだ。だから私も経験したが、面接で転職前の給与を聞かれてかつ源泉徴収票を提出させるのは、もちろん年末調整と言う意味合いもあるが、前職の実際の給与を確認するという意味もあると聞いたことがある。これでは、なかなか社員のパフォーマンス測定し給与を決めると言うのは至難の業だ。

 よく人類の歴史を辿る時、狩猟から農耕へと時代が変わったと言うけど、昨日まで獲物を求めて大移動していた人間がいきなり畑を耕しはじめて時代の転換がなされたとは思えない。長い期間を通して少しずつ変わっていったんだと思う。給与賃金も今はその過渡期なんだろうなと思う。そして、会社の仕組みの今がどうであれ、常に自分のスキルを磨く必要があると言うこと。よらば大樹で入った会社が外資に買収されて人事評価基準が一変することだってある。その時、自らの専門性、他者との差別化した時に自分の武器となるものを明確にすることが必要になってくるんだろうと思う。