悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「わたしは最悪」再考

 世界でこれまで、あたりまえと思われてきたストーリーがぐらついてきている。

 この映画ではそのうち2つのストーリーが登場している。

 まず、女性は子供を産んでなんぼという価値観のストーリー。北欧は女性も男性に伍して働き、ジェンダー差別は少ないし、女性にとって理想的なところというイメージがあるが、本当はそうではなく、結局、育児と家事は女性に負荷が世界の他地域と同様高いと聞いたことがあるし、そのことを書いた本でも読んだ。

 この映画は、30代の女性の自分探しがテーマと言われている。それは確かにそうだろう。それは否定しないし、重要なテーマには相違ない。

 しかし、映画の中で、主人公の家系を辿る時、意に沿わない結婚をした、とか、何人の子供をもうけたとか説明が入ること。要は女性はその家にとって子孫を産む道具であったことの歴史を暗に指し示す。

 そして、最初の彼とのぶつかり、すれ違いは、親戚一同が会した後、彼が子供を持って家庭を築こうという点だった。そこで、モヤモヤを彼女は感じる。次の彼とは、妊娠したが、彼もそれを喜ぶ風ではなく、最終的には流産した。

 それでも、最後のシーンで主人公の彼女がカメラマンとして仕事に励む姿が映し出される。そんなワンシーン、スチール写真用に撮影した女優のダンナが2番目の彼で、撮影が終わって外でベビーカーを引きながら奥さんを待つ。 このシーン。主人公の彼女が悲しそうな顔ではなく、よかったわねと心の中で呟いているようなのが、すこし救いだったかな。

 主人公は、自分のやりたいことが見つけられず、周りを引っ掻き回すようにみえるが、実際は、世間のしがらみ、女性は子供を産んでこそという縛りというストーリーの存在が、本当は好きだった最初の彼と別れさせた。

 もちろん、わたしはサザエさん的な専業主婦を否定するつもりはないし、それを良しとし結婚する事もアリだろう。しかし、女性がキャリアを伸ばしていきたい、好きなことをやりたいそれでお金を稼ぎたいというのもアリだと思う。できる人が、それは男だろうが女だろうが活躍できる社会。そうあってほしいが、女性の妊娠出産が今は、キャリアの妨げになっている。その中間、働いてキャリアを伸ばして、かつ、子育てもというのが難しい。その点をこの映画はストーリーとして見せてくれる。

 

 2番目は成績が優秀な子は医者になると言う縛りと言って良い考え方もそう。

 優秀な子は医学部は、日本でも聞かれたストーリーである。優秀かもしれないが、国文学に興味を持っているかもしれない。哲学を勉強したいと思っているかもしれない。でも、それを認めない。この映画の主人公も、結局、カメラの仕事につくのにかなりの遠回りをすることになる。

 

 我々はこの映画の主人公と同じように、毎日、そういうしがらみストーリーと対峙しつつ、それがプレッシャーになりながらも、回り道しながらも進んでいかなくてはならない。だからこそ、この映画が心に染み渡るのかもしれない。