悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「月の満ち欠け」を鑑賞しました

 1980年代の高田馬場がCGで再現されるという話題を記事で読んで興味を持って見に行った。80年はジョンレノンが亡くなった年。このセットの写真を見て思い出したのは

 ビッグボックスはベースは赤だったんだなあということ。コロナでロータリーも潰されたが、あの頃はあそこで大学のサークルが待ち合わせに使ったりしてたなあと思い出したり。

f:id:wuyalijp:20221204085815j:image f:id:wuyalijp:20221204090642j:imageそれとか、FIビル。そういえば東海銀行あったなあと思い出したり。それが見事なまでに再現されいえる。欲を言えば看板が白地に黒ではなくもっとリアルでよければという思いもあるがそれは大した問題ではない。(以下 ネタバレあり)

 

 そんな80年代の高田馬場という設定よりも印象に残った点。それは人生に悔いを残して亡くなった人の生まれ変わりというテーマが見終わった自分には強く残ったという点だ。もちろん、劇中でも大泉洋が演ずる主人公は生まれ変わりを強く否定する。いくら科学が発達しても死後の世界は科学的に解明することはできていない。ブラックホールは物理学が解明につとめているが、死後の世界、物質的な解明はできても、魂はどうなるかは解明しようにも手立てがない。

 

この映画ではその魂が前世での思いを持ち続けて生まれ変わる。

 いくら生まれ変わりの子供が、さらには亡き娘の友達が自分も知る生前の記憶を持っていたとしても、自分にとっては時間を共有した妻と娘との時間はやはり永遠。それは痛いほどわかる。それが主人公が新幹線の中でかつての8ミリビデオを見て号泣するシーンだろう。生まれ変わりが事実であったとしても、愛した妻、娘ではもはやない訳だから。

 今年は日本映画のあたり年。年末の最後の最後に、いい意味で打ちのめされた。

 それにしても、大泉洋といい、有村架純といい、目黒蓮といい、いい役者が揃った映画だったなあ。