悠々談談

日々思うことを、つらづらと

マイホームから経済を考える

 東日本大震災の時は、津波で家が流されるシーンがYoutubeで数多くアップされた。それはかなりショッキングな動画ばかりだったし、今も目にすることはある。能登半島地震津波はあったが、それよりも揺れ始める時、普通に存在していた家並みが、地震で崩れていくシーンがドライブレコーダーの記録がアップされているシーンを多くみる。元旦、年賀状を吟味しているときに襲った大地震。ゆさゆさ揺れる中にいた人は、無事だったんだろうかと思う。

 日本という国は高度成長期は新潟地震(1964年M7.5)以外は大きな地震はなかった。ところがここ30年で見ると、記憶する限りでも、淡路島神戸、熊本、鳥取、東日本、そして能登半島。頻発と言っていいくらい大きな地震が起きている。

 マイホーム。それを考えた時、地震で住めなくなると、返済の繰延等は政策として存在するが、減免にはならない。仮の住まいも家賃等の支払いもしなくてはならない。そう考えると今後、南海トラフとか首都直下型が列島を襲うとなると住宅問題が大きな社会問題となるだろうし、路上難民が多発する事態も想定される。

 

 終の棲家という言い方がある。昭和の時代は若くしてマンションを買い、年収も上がれば郊外にマイホームを持つ、という神話があった。地価は右肩上がりだし、いざとなれば売れば良い。それがバブル期までの強く信じ込まれた神話であった。しかし、何千万を払って購入したマンションは大規模修繕で定期的に支出が必要になるし、戸建てにしてもガタがくればならない。まして今回の能登地震を見てると、地震の耐久性は大丈夫かという不安もある。特に築年の古いものはなおさらだ。

 

 この三連休も街には人が溢れた。一見、景気がいいようにも思えてしまうが、本当に景気を下支えするのは、一番大きいのは不動産の購入。数千万のお金が動くし、金融機関も20年30年と金利の収益が上がる。そして家を買えば家具だって買うことになるだろう。しかし、地震の不安もあるし、仕事にしたって雇用の確実性は無くなってきている。仕事がなくなれば家を手放すことになる。そう考えると果たして不動産は買うべきなのかという永遠の論争に行き着いてしまうのだ。まして、これから大きな地震が起きるかもしれないのは日本の人口の3分の2が生活し、仕事をしている地域である。そんな幅広いエリアが居住不可になったらどうなるか?そいうことを考えると不動産の購入も躊躇する。

 

 豊島区が、限界集落化するという話がニュースになったこともあったが、実際問題として池袋周辺を歩いても空き家であるとか、空き地が実に多い。

 

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   また、中野区はむかしは、特に西武線沿線には学生も多かった。いまも中野駅近辺はオタクの聖地として若い人も多く見かけるが、中野駅前のスーパーは年配者が多い。実際のところ築年30年40年はある古民家が多い。中には人の住む気配のない家も多く見る。隣接する新宿区中井近辺でも「ワンルームマンション反対」という古いポスターを見る場所があるけど、若い人がまばらな街を見ると、それが言われていた頃が懐かしいくらいだ。おそらく団塊世代後期高齢者になっていくと、23区内もますます空き家が増えるのではないかとも思う。

 

 別の稿でも書いたが、数千万円で建てた家も30年40年経つと劣化が激しい。まして耐震にしても心許ない。これからの住居はどう考えていけばいいのか?

 

 私は、公共住宅を基本に住居のあり方を考えるべきではないかと思う。いまURとかあるけど、利益重視のために新築されているURは都心の場合月家賃10万円から20万円。これでは公共住宅とはいえない。空き家のある区域を区なり、都なりが買い上げて廉価な上質の家賃の公共住宅を作るという発想にならないものだろうか?

 

 高齢者は持ち家があっても、劣化して子供が住み続けるのは難しかったりする。それが空き家の増加につながっていると推察するけど、抜本的な住居の改善を試みないと、日本国全体が限界集落国家になりかねない。いま、税金を使うべきはこの点ではないだろうか?住居の不安がなくなれば、金回りも違ってくるのではないだろうか?