悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「バビロン」を鑑賞しました。

  意識してネタバレなしで書きます。ですが、正直いってストーリーをここで語ったところでこの映画を語ることになるとは思えない。2人が生き抜いていくとに出会うさまざまな人、事件こそが監督の描きたかった部分ではないかと思う。

  そして、この映画に対する評価は文字通り毀誉褒貶。それは米国でもそして日本でも同じらしい。

  そして私も、映画を見た直後はもう二度見ることはないと思っていた。また、人に薦められる映画でもないと正直思っていた。

 

  しかし、今の私はもう一度みてもいいかなと思うようになってきた。

 

  この映画を酷評する人は、冒頭からのグロテスクなシーンとか、酒池肉林、薬漬けシーンなどを指摘する。そして監督の前作ララランドの空気感とは

 真反対。ララランドの感覚でこの映画を見れば、そりゃあ、なんだとなる。ラブはあるが、それ以上にコンプラ的には難しいシーンの連続。朝日の映画評も

「アンガーは黄金期ハリウッドで秘されたゴシップをこれでもかと暴露してみせる。だが、それはもちろん無声映画の壮大なる輝き、映画草創期の神々への崇敬があってこその行為である。チャゼルにその心があるだろうか? 残念ながら象の糞(ふん)から映画を始めずにはいられないチャゼルには、涜神(とくしん)はできても神殿を建てることはできない、と言わざるを得ない。ジーン・ケリーの洒脱(しゃだつ)もなく、映画史の講義など百年早かろう。(朝日新聞2/10夕刊)」とまで書かれている。

  この評者の言わんとすることはわからないでもないが、今でこそハリウッドはエスタブリッシュメントの集う産業になったが、この映画の描いた時代は実際のところそうではなかった。無声映画とトーキーの移行期、映画の初めの頃は大きな原っぱで撮影。今でこそ西海岸の大都会のロスにしたって、人口は少なく警察さえもなかった。だから、パーティーの最中とか、撮影中に人が事故で死んでもこっそり運び出して葬る、とかやってしまう。おそらくこの映画に出てくるエピソードの一つ一つは、ちゃんとしたハリウッドで語り継がれている実際の事案がベースになっているんだろう。そこを綺麗事のエピソードだけを連ねても、空疎な現実離れした映画になってしまう。

  こういう描き方は、監督がその混沌とした無秩序状態のハリウッドを取ろうとしたのだから、それは当然のことではないか?それよりも、そういった混沌、無秩序な中で、名前を上げ成功をつかみたい男女が駆け抜けていく姿を追うストーリーと考えれば、どこか腑に落ちるところがあるのである。