悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「アバターウエイオブウォーター」を鑑賞しました

 映画批評投稿サイトフィルマークスで書かなかった視点を書きます。最初からネタバレ全開です。

 このなかで、トウルクルンという海で生きる動物が出てくる。知能が人間以上で、感情があり、言語も解する。そのトウルクンからとれる液体が不老不死につながるというので、地球人が血眼になる。それを取得すると死骸は放置。

 そして、そのトウルクン漁をする地球人が捕獲に使う兵器。その円筒形の手元近くに日浦という漢字が見てとれる。

 トウルクンは、あきらかにクジラをイメージしているし、それを捕獲する連中は悪い奴という設定がそこにはある。そして捕鯨国日本。

 また、ストーリー全体で、異文化の侵略は悪いことというメッセージがある。でも、それはブーメランのようにこの作品に返ってくる。日本人のクジラ漁は、そもそも動物性タンパク質を取る必要性があったからで、それも文化だった。その一方で、米国は牛肉をモリモリたべる。牛を殺して食べるのは当たり前のこと。でも、こっちは良くてこっちは悪いの価値基準はどこなんだろう。そもそもナヴィ族の本拠を襲うRDA社は米軍をイメージさせるし、価値観の一方的な押し付けとみれなくもない。

 もっとも、黒白をはっきりさせるのは、ハリウッド映画のお決まり事だし、正義の定期はともかくつべこべ言わず映画を楽しむという視点で、完璧な階段をひとつ登った映像表現を楽しめばいいということかもしれないけどね。