悠々談談

日々思うことを、つらづらと

日本に市場経済は性に合ってない

 こんなこと書くとなぜ?と言われそうだが、よく考えれば合点がいく。

 

 例えば不動産。買替えは確かにあるが、そんなに頻繁に投資不動産以外で住み替えをしていない。だから、高度成長期に働き盛りのサラリーマン家族の住んでいた多摩ニュータウン限界集落と化しつつある。西武線の沿線もその傾向は強い。買ってしまった場合‘、担保の件とか金融機関の件でめんどくさいし、子供の教育

とかで、日本人の特性の一つ住み替えして心機一転するのではなく、できない理由を考えて住み続ける。自分は小さな会社の管理部門だったから年末調整を処理してきたが、ローンを組んで家を買った人で、転勤以外で引っ越した人は数えるほどしかなかった。

 

 投資不動産用のワンルームマンション以外は市場メカニズムがきいているか疑問。

 

 だから、マンション買って5年10年も待つと価値はガタ落ち。リフォームしてなんぼ。とても流通しない。

 

 街を歩くと、電信柱に非公開物件格安物件なんて貼り紙みるけど、適正な市場価値が導き出されるマーケットがあれば、それにまさるものはないはず。

 

  雇用もそうだ。新卒で入社して社歴何年で給与を見立てるから、唐突感のある給与にはならない。転職しても、前職の給与と転職先の給与体系を比較して給与がきめられる。

 

 例えば、外資系の人材コンサルは定期的にサラリーの調査をして、これくらいできるひとはこれくらいの給与、と言う報告書を出している。それをみると、自分の給与はどうか、相場から上か下かがわかる。

 

 しかし、動かない。中小企業は動く。小さいし、人間関係もあるし、私の経験した外資でも5年で人が入れ替わったが、大手はなかなか動かない。大手は人材豊富だが、転職マーケットにはでてこない。

 だから、人材マーケットのメールには、掘り出し物求人だとか、人気案件とか、まるで通販のコピーのようなものがついてくる。

 人材のマーケットも市場が形成されているとはいいがたい。動いていることは動いているが、あくまで中小企業がメイン。

 

それでも、最近の若い人は、定年は意識してないようだが。

 

 そんなこんなでみると、結局のところ日本人は市場で価値を見定めることに慣れてない。買い物でも、いい値で買う。

 たとえば、海外に行ってもねぎらずにいい値でかってしまう。自分が高すぎると思えば、そう主張すれば下げてくれるかもしれない。

 

売り方も、これじゃあ、高いんだ、負けてやるかとなるのだ。

 

こう言う駆け引き、日本人は苦手だと思う。だから、定価という値段表示をみると安心する。オープンプライスでは落ち着かないのだ。

 

とにかく、決められた条件で粛々と商売する。

 

でも、それでよいのかもしれない。コロナで世界は内向きになってきている。国内経済を守るために、価格を管理していく。コロナ後の混乱に巻き込まれないために。

 

あっ、そうか、だから日本は世界で最も成功した社会主義国といわれるわけか。