悠々談談

日々思うことを、つらづらと

ハンコと戸籍をなくせ

 ハンコがなくなれば、全てがうまく回るかのような幻想が振り撒かれている。

 私としては、ハンコを無くするのなら、まず、実印登録制度をやめてはどうだろう。そのために保管と手間がかかる。それは我々の血税から賄われる。個人だと不動産を買ったり、大きなお金を動かすときよく求められるが、そもそも引越をしたらまた作り直さないといけない。本人確認のためなら、運転免許証だってあるし、マイナンバーカードだってある。手立てはいくらでもあるはずだ。会社の実印にしてもそうだ。契約の時に添付すること多いが、なぜか、社印という角ばった印鑑がなぜか、社名にかぶさる形で押印され、押されていることで

会社の正式な請求書となったりする。そしてその社印は確かアスクルあたりでも簡単にできる。法務局に登録することはない。

 

 次、戸籍。

 今、戸籍の制度があるのは日本、中国、台湾。中国と台湾のそれは形骸化していて、実質的に戸籍制度が存在するのは日本だけ。そして、本籍地はどこにしなければならないという規定はないから、千代田区一丁目一番地の皇居を本籍にしている人も多いと聞く。何よりも、日々の生活で戸籍の書類を必要とするのはパスポートの申請の時くらい。めったと役所で戸籍謄本を取ることはない。戸籍という制度があるから婚外子、非嫡子問題がいつまでも議論される。

 Individual。Divisualは分けるというのが原義で、Inはその否定。つまりIndivisual=個人はこれ以上分けられない単位という意味があると最近知った。でも日本はそういう社会ではない。個人の帰属単位ベースでお互いを認識する。それが今の社会の同調圧力に伴う、息苦しさを生んでいる。

 

 ここで書いたハンコは個人に属するもの。ひょっとしたら実印登録廃止というシナリヲもあるかもしれない。しかし、政治がこだわり続ける戸籍は家族制度と一体であり、なかなかウンとは言わないだろうな、と思う。

 

 参考文献 「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」鴻上尚史 佐藤直樹 講談社現代新書