悠々談談

日々思うことを、つらづらと

自分の原点は三つ

一つは自転車。

子供の頃、自転車で生まれ育った呉のまちを自転車で走り回っていた。

朝早く起きて、大阪からの新台急行「音戸」や「ななうら」を踏み切りに見にいったり

ご飯を食べて港までいき船をぼーっと眺めたり。長迫海軍墓地とか、あのこの世界の片隅にの世界を自転車で走り回った。

それから、数十年。

 

あらためて、自転車の存在に気づいたのは、ドコモバイクシェアの自転車に乗り出してから。今じゃ、新宿から晴海、お台場も楽なもんだし、

街の風景を見るのが楽しいのである。四季の変化や、街の変化も見て取れる。

 

そうなんだ。海外旅行に行っても名所旧跡にいくとか、買い物するよりも街を歩く方が好きなのもそこから派生してるのかもしれない。だから、残業でクタクタになって電車に乗って帰って寝るだけでは、心も身体も疲弊したワケだとつくづく実感。

 

残業しても、キラキラの新宿を通り抜けるだけでパワー回復、なのです。

 

二番目は映画。

シネコンはなかったが、呉のまちには映画館がいくつかあって、ロードショー2番館というかちょっと遅れたロードショー二本立て

が上映されていた。でも、それでは飽き足らず広島までよく映画を見に行った。

そして東京。雑誌ぴあを舐めるように愛読し、都内の名画座を梯子して回ったもんだ。

 

好きだった映画館は日比谷映画かな。いまはシャンテになってるけど風格があった。名画座だと銀座並木通りにあった並木座も好きだった。

ぺらのプログラムが懐かしい。

大学終わりの頃は100本近く見て、けっきょく、日活に入ったのも入るべくして入ったというべきか。

 

そして今、シニア料金が60歳ということを知り、‘実をいうと58歳くらいからシニア料金で見ていた。今の料金でいうと大人が1900円が1200円。

これは大きい。おかげさまで年間50本近く鑑賞。

いやー映画ってほんとにいいもんですね

 

最後は海外放送

中学高校の頃、海外短波ラジオを受信しては受信報告書を送っていた。この趣味でキエフという都市を知ったし、文革のコロの生々しい北京放送も印象深い。

とにかく、耳をすまして英語の放送を聞いたり、‘他言語の放送をじっくり聞いたり、おかげで英語に対しては受験勉強はともかく英語に対して拒否反応は持つこと

なく来て、‘外資系に臆面もなく働くことができた。もっとも外資系は、資格は結局取らなかったけど、たまたま税理士試験受けた年。財務諸表論の問題が

米国会計基準にまつわる問題で、すごく興味をひいた。これ、大きかった。

 

それで、列島の外に目を向けることが自然になった。

そんな自分には、インターネットの存在は大きい。リアルタイムにアメリカの今を見たりできるんだから。

 

無論、最後の海外志向、大敵はコロナ。去年2月北斎の透かしの入ったパスポートに更新、陸マイラーとしてマイル貯めても使えない。

ただ、永遠にこうではないと思うのでこの三つをクロスオーバーさせながら、今週も、来年も頑張りたいな。