悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画で思い出すこと (1)

 生まれ育った呉には確か3つほど映画館があった。本通り沿いに呉シネマと呉大映中通りにサンゲキがあった記憶があるが、実を言うと小学校の時、親に連れられて、ディズニーものを見にいったが、さほど深い印象はない。本格的に映画に目覚めたのは中学校以降であろう。ただ、当時の呉の映画館で印象に残っていることがいくつかある。飲み物やお菓子を幕間に売り子が入って売っていたということと、上映中でも肉声で館内呼び出しがかかったこと。それはそれで懐かしい。また、町のけっこうな場所に映画のポスターが貼ってある場所があった。近所の雑貨屋さんにもポスターがあって、そういった場所には無料の招待券が劇場から何枚かきていてその恩恵に預かったこともあった。

 

 そもそも何で呉で映画を見なかったかというと、話題の新作が数ヶ月遅れだったからだ。そこで1時間ほどかけて広島まで見にいった。よく行ったのは広島朝日会館、広島宝塚劇場。広島も今と比べればローカルで、東京と同じタイミングでの上映というのは少なかった気がする。それは当然だろう。今はデジタルでそんなことはないが、上映フィルムがないと上映できない。無尽蔵にフィルムがあるわけないから、地方都市に回ってくるのは、都会で上映した擦り切れフィルムだったから、画面にノイズがかかったのは仕方ないことだった。

 中学校、高校の頃は、ブルースリーエクソシスト小さな恋のメロディがすぐに思い浮かぶが、ブルースリーは2本だてが多く、イタリアの若い男の子の青春を描いた「青い体験」とか「サマータイムキラー」といった併映作品は今でも記憶に残っている。あと当時は、「大地震」「ポセイドンアドベンチャー」のような巨大スペクタル物が多かった。


  そんな自分が情報源として大事にしていたのは、映画専門誌スクリーン、ロードショーだった。ロードショーは人気投票があり、確か男性は、ブルースリー、アランドロンがベスト10の常連で、近々上映される作品をチェックしたりした。そして見るというとテレビも重要なツールだった。名前は解説者。

 月曜ロードショー 荻昌弘

 水曜ロードショー 水野晴郎

 ゴールデン洋画劇場 高島忠夫

 日曜洋画劇場 淀川長治

 

 東京に出てきてからは、それこそ映画を見まくった。当時は名画座も多く、月刊ぴあ、隔金ぴあといった情報誌を手に入れると真っ先にチェックしてその1週間の予定を立てた。レンタルビデオも普及しておらず、配信なんてもってのほかの頃だ。劇場名で記憶しているのは、邦画系が銀座並木座。ここは銀座の並木通りにあるスクリーンは本当に小さい映画館で、ゲラ刷りのモノクロ2色のパンフも懐かしい。池袋文芸地下は、今は新文芸坐になっているが、そのころは文芸坐が洋画系、文芸地下が邦画になっていた。大学近くにあったACTミニシアターもよくいった。ここは靴を脱いで足を伸ばしてみる映画館で、不思議な雰囲気を漂わせていた。もちろん、早稲田松竹も忘れ難い。

 洋画となると、先に挙げた文芸坐。ここは改革開放直後から毎年中国映画祭を開催していて、オールナイトもよくみにいった。高田馬場には小滝橋方面に早稲田通を行くと早稲田予備校近くにあった西友の地下にあった。ここは洋画中心だが、邦画もかかっていて、一番よく通ったかもしれない。

 

 ロードショー劇場も田舎にはない驚きがあった。それはパンフレットに劇場名が印刷してあること。また、初日には行列ができたりした。今のように指定席じゃないからね。そして、今では国際映画祭でしか巡り会えない拍手もあった。それとなんといっても大きなスクリーンは驚きだったなあ。そういう自分がテアトル東京のシネマスコープを経験してなかったことは大いなる心残り。

 

この項 続く