悠々談談

日々思うことを、つらづらと

ゲームチェンジの時-4- 政治

 自分が子供の頃、1970年ごろは保守対革新が政治をニュースが表現するときの常套句だった。保守は自民党。革新は社会党共産党民社党という政党があったあけれどそれは「中道」と言われた。公明党も「中道」だったかな。当時はニュースで「革新統一候補」が知事選で勝ったとかいうとどこかに社会が良くなるというニュアンスを感じていた。「保守」のイメージは、‘憲法改正して、自衛隊を軍隊にして、社会を悪くするイメージだった。そして革新は平和憲法を守るがテーゼであった。生まれ育った広島県呉市は米軍岩国基地も近く、ちょうどベトナム戦争の時期と重なっており、呉市の広町にある弾薬倉庫から岩国基地に運ぶための弾薬倉庫を作ることが新聞の記事にもなっていた。

 

 しかし、‘大学に行き、大人になって考えた時この「保守」「革新」の意味がよくわからなくなってきた。

 

 まず「保守」というとイメージとして浮かぶのは大日本帝国憲法回帰。でもその行き着いたさきは太平洋戦争であって300万人を死に至らしめた。そしてこの保守が講和条約を結び、日本国憲法を作り、そして今に至る。言うは簡単だが、自民党の政治家にはさまざまな理解できない点があった。

 

1 保守を標榜するのに米国に逆らわない。

2 東京裁判を否定する政治家が多いが、それは1とは真逆の真理。かといって保守としての太平洋戦争の総括は聞いたことがない。

3 追い込まれた戦争という言質もあるが、それで300万人も死んだのだ。それで300万人の遺族は納得行くか?

4 特に韓国には未来永劫謝らないといけないのか?というけど、いろんな談話で謝罪しても、それを打ち消す行動を取るからだというのが理解できない。

 

 リベラルも同様にわからないことがある。

 

1憲法を守れは正しいと思う。保守が言う憲法改正は自分たちが政策でやりたいことを遂行する上での手枷足枷をなくすること。それをさせないと言うのは間違っていない。

2でも、憲法の足枷を外そうという目論見に対して、さらに枷を強めるぎゃくな憲法改正をなぜ仕掛けないのか?そういったアクションがないから憲法を変えようという保守が改革派、リベラルが守旧派と見られている。

3 2のように政治家が動かないからメディアに出てくるリベラルがまるで政治不満層のガス抜き機関に成り下がってしまった。

 

日本人は考えて動くことが苦手というか、避けたがる。自分が非力だと必要以上に強く認識する。政治は自分が動いたからって変わらないと思っている。そのDNAがあるから日本では革命が有史以来存在しない。ながれに逆らわない。たとえ結果が悪くなっても自分が悪いわけではない。自分はとうにその選択は悪いと思ってたけど自分1人では、と思う。だから太平洋戦争が事実上終わった8月15日すぎると米国歓迎となった。

 

我が家の近くに石橋湛山の自宅がある。そんなに面積も広くなく、瀟洒な西洋風の作りの家。彼はリベラルを代表する自民党の政治家だった。病気を理由に首相になったが短期で退陣。太平洋戦争のころは東洋経済で論陣を張った。なかでも有名なのは「小日本主義」。大陸や南方に版図を広げていった日本の政策に異論、日本はそういった動きをやめ、通商国家としての考えだった。勇気のある論陣だったと思う。そんな石橋湛山が健康に政権を維持できていたら、岸政権はなく、今とは違った日本になっていたような気がする。

 

そんな政治家は自民党にはいなくなった。志はあっても、現在は国会の投票要員でしかない。野党も憲法を変えることが日本を良くすることと考える政治家が増えたし、石橋湛山のように政治に物申す論陣は見られなくなった。

 

この政治こそ、一番ゲームチェンジが求められていると思うのだが。