悠々談談

日々思うことを、つらづらと

死は恐るにたらず

 最近、死というものに恐れとか、不安を抱かなくなった。

 死ぬ時でイメージすること。

 家族に看取られえて大往生。横で先生が「ご臨終です」という。家族が涙を流す。

 でも、こんな死に方は、コロナ禍では許されなかった。昨今のように通り魔という言葉では片づけられない事件だって報じられても驚かなくなった。事故だって、いつ巻き込まれるかわからない。東京であれば直下地震も心配だし、南海大地震だって確実に起きる。生きるか死ぬかは運。

 そう考えると死を恐れたところでどうしようもない。死んだら、その時は素直にその事実を受け入れるだけ。と言っても受け入れるも何も、この世界から自分という存在が消えるだけ。

 これって、よく人生を旅と例えるがまさにそうだ。たとえば7日の旅程である都市に滞在する。事前にいろんなプランを立て、あそこに行くとか、ここに行くとかイメージする。そして実際に行くと楽しいこともあるし、運悪くトラブルに巻き込まれるかもしれない。そして明日、帰国なんていうと、前夜は旅の終わりが名残惜しく感じる。

 でも、自分が旅人として1週間滞在した都市は、自分が帰国したあとも、日常が展開する。自分という存在が、昨日までの1週間その街のカフェなり、レストランにいたことが、まるでウソのように。同じ席に、別の人が座り食事をし、友人と談笑したり。
 
 でも、その旅ではいろいろな楽しい思いを経験し、スリにあったかもしれないが、過ぎ去れば、そこには良い思い出しか残らない。

 毎日生きる。その時は、ほんとうにやりたいことをやる。もちろん、一朝一夕でなんとかならないこともあるかもしれない。しかし、そのためにやるべきことやったという充実感があれば、それは目標達成ならなかったことの後悔にはならないだろう。いまを一生懸命生きる。必要でない我慢をしない。

 そう思うと、死ぬことに恐怖は抱かなくなった。