悠々談談

日々思うことを、つらづらと

政治は難しくない 

政治はむつかしくない。

きのうより、あしたいい生活をしたい。その助けになるのが政治だと思う。

もちろん、今の生活の基準は違う。100の家庭があれば100の、そこに家族が3人いれば300通りの明日への希望があると思う。

ああしたい、こうしたいという。

 

 

もっと良くしたいとおもえば、何かを買う。そのためのお金が必要。それはiPhoneの買い替えだったり、ある人にとっては、美味しいものを食べることだったり、また、ある人にとっては病気を治すことだったり。もちろん、自分で稼ぐのが前提だが、足りないこともある。

そのお金の配分を決めるのが政治。そしてその原資、税金を増やすには経済を回していく。その政策立案をするのも政治。そして、それぞれのああしたい、こうしたいが結果としてぶつかっとき調整するのもまた政治。

 

たった、これだけのことなのだ。むつかしい政治理論や政治哲学は必要ない。それを細部にわけていくと政治を下支えする行政という組織になる。

 

でも、行政のなかでも軍事はどこまで自分たちの生活をよくする方向に貢献できるのだろう。版図を広げる、奪われるがどこまで我々の生活の質的かつ量的向上に役立つといえるだろうか?

太平洋戦争ではABCD包囲網を日本は敷かれ、石油が入ってこなくなった。石油が入ってこなくなったら、日本のように資源のない国はたちまちのうちに社会自体が機能不全に

陥ってしまう。そこで、当時の日本は東南アジアに侵略していった。困窮しきっていた日本では木炭自動車まで走らせていたぐらいだからね。人々は、だからこそ戦争の勝利に熱狂したし

政治は軍事にお金をつぎ込んだ。そして日本軍が占領した都市には商社の駐在員事務所ができた。

 

しかし、今言われている中国の脅威って何だろうと思う。日本はデフレでずっと沈みっぱなし。円安がすすみ、海外からものを買っても高い。いまはコロナで観光で海外に行けないからまだよいが

ビッグマック指数でみると日本で390円食べられるが米国では621円である。ちょっと軽くマックというわけにはいかないのだ。飲み物やポテトつけると1000円は突破する。

でも、これは中国のせいではない。

私が20代のころ、派遣社員という仕組みができた。最初のころは時給単価はむしろ正社員より高かった。いつ仕事が途切れるかわからないリスク。そのリスクが時給単価に上乗せされていたからだ。

それが、リーマンショックで景気が落ち込むなか、団塊ジュニア世代が大学をでたが就職先がなく、非正規に。むろん、正規になればいいという問題ではないが、政府はなにも政策をうたなかったから、

この世代が結局のところ生涯未婚率を高めたし、人口減に拍車をかけることになった。ちなみにどの国も戦争から男がかえってくると結婚し家庭をもつ。そして出産ブームがくるが、日本はそれが団塊世代

市の子弟のジュニア世代となるのに、日本だけ団塊ジュニアの結婚による出産増が人口増減のこぶになっていない。

これも中国のせいではない。

 

内政の失敗から目をそらせるために外に目をむけさせるのは、政治の世界ではよくあることだ。この対中国の意識構造にはこの点は少なからずあるような気がする。

 

でも冷静になって考えれば、中国に敵対して日本の利益になることはなにひとつない。戦争になれば、戦場になるのは日本である。これは、中国に服従しろというのではない。米国にも中国にもちゃんと物を言えよということだ。政治は常に国民がどうしたら幸福になるか、それを考えてほしい。戦争はその国が勝っても負けても家族が亡くなる、財産がなくなれば、それは幸福とは言わない。

世界の政治家にはその原点に立ち戻ってほしい。