悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「ノースマン」を見て考えた損得勘定ということ

 まず初めにこの映画は10月26日、東京国際映画祭出品上映を見ての感想で、ネタバレも混じってるのでご了承ください。

 人間は社会的動物とはアリストテレスの言葉だが、社会の構造が複雑になればなるほどその度合いは強くなり、ニッチもサッチも行かなくなるとあきらめしか覚えなくなる。刑事コロンボなんて、打算の産物の殺人だもの。

 それでも、社会の枠組みを壊すことは人間ある。殺人事件は、文字どおり堪忍袋の緒がきれたときにおこる。人を殺すと刑法で、とかいう社会的な縛りなんて考えない。電車に飛び込むことだって、もう、苦労を味わいたくないと発作的にホームから飛び込む。ソフトな話だと、人を好きになるのだって、好きになった時は、それまでの社会的つながりを壊すとわかっても突進してしまう。

 思いつくだけ、あげてみたが、こういう縛りが少なかった頃の人間はどうなんだろうと思わず思ってしまったのが、この映画という気がする。でも、それを現代でドラマにしたところで、けっこう飽和状態で、またかと思われるストーリーになる。が、ノースマンのような舞台設定の中で見るとだから、復讐を終え、死んでいくときも。子孫を残せたことで安心して死んでいく。それが、重くズシンと響く。

 1月公開されたらまた見たい作品。