悠々談談

日々思うことを、つらづらと

集団的自衛権の概念は百害あって一利なし

 集団的自衛権は、百害あって一利なしである。

 第一次大戦、第二次大戦も集団的自衛権があったあゆえに戦火が広がった。大国を巻き込んだ戦争になった。集団的自衛権がなければ、国対国の戦争で終わっていた。それを大国が

戦争の原因についての仲裁をすれば良かっただけ。それでも集団的自衛権の考えが正論になっているのは、戦争をした方が大国にとって利益が大きいということに他ならないのではないか?

 台湾問題だって、集団的自衛権の視点を外せば、中国大陸メインランドから台湾に逃げた国民党の中華民国政府だが、国際法上は一つの中国である。選挙が行なわあれ、統治主体があり、国民がいる。確かに国家の形を作っているが、この台湾が独立すると言い出せば、それは中国の内政問題である。米国が横槍を入れて結果、米軍基地に攻撃を仕掛けてきても、自衛隊が加勢する必要はない。中国が国内問題として対応すればいいだけ。そもそも米国が加勢する大義名分はない。米国自身、一つの中国を確認して国交回復しているからだ。

 

 結局のところ、集団的自衛権は大国が、自らの権益拡大に利用し、徒党を組まされているその他の国はその権益拡大のおこぼれを貰うことがその本性ではないか?そして米国を中心とした集団的自衛権の構造が崩壊しつつあることが、今のヨーロッパのウクライナ離れに拍車をかけているような気がする。それから行くと中国と米国の時代というのではなく、多極化の時代に突入したと言えるのかもしれない。そういう時代に、今の自民党の政治家では対応は難しい、と思う。