悠々談談

日々思うことを、つらづらと

平和を守るということ

 リベラル、護憲勢力自衛隊の増強に対して平和を守れ、憲法を守れと主張する。私はそれはそれで正しい主張だと思う。間違ってない。しかし、具体的に

平和を守るとはどういうことなんだろうと考えるといささか心許ない。単に軍事力を行使しない、それこそ麻生副総裁が台湾で言ったような威嚇パワーを持つことが平和を守ると言うことか?これは1970年代に軍備拡張の論拠とされた「ハリネズミ論」に通ずるところがある。当時の仮想敵国はソ連ソ連が日本を攻めてこようとしても、ハリネズミのようにハリが列島を覆っていれば侵略されることはないと言うもの。

 

 でもここで考える。平和を守るとはどういうアクションを言うのか。そもそも平和でないとはどう言うことか?

 

 そもそもなぜ戦争が起きるか。それぞれの国が自由に商売なり、利益追求をしていくと国と国で利害がぶつかる。憲法9条はそれを戦争で解決するんじゃないくて外交で解決しろと言っている。そういうと保守は突然攻められたらどうするよ、という。だから軍備を持たないとダメだよ、と。しかし、第二次大戦以降、戦争は米国主体で常に起きているが、すべてそこには口実がある。時の政権が不安定になった時、実質的宗主国である大国が両国間の同盟条約に基づいてその国に押し入る。若しくは、それまでの外交方針とは真逆の政策をとる政権が誕生した時にそれを潰すために侵略する。そういった口実を与えかねない外交関係を持たないことも平和への努力の一環と言える。しかし、戦後の日本はそれらとは全くもって違う路線を取り続けてきた。ひたすら米国に追随する。核兵器を人類史上初めて使われた国なのに、米国の核の傘に喜んで入ってしまう。

 

 それでも、高度成長の頃は全方位外交といって、好きじゃない言い方だけど分け隔てない外交を展開していた。そういう政治は安倍政権が壊し、憲法9条を形骸化してしまった。そして、完璧に米国の追随国になってしまった。

 

 外務省が中途採用を社会人経験者の中からとるらしい。日本の21世紀はやはり外交が肝になると思っている。国力が落ちたと言っても底力は持っている米国、成長力は弱ったとはいえパワーのある中国、そしてEUと多極化の時代になるのは明らかである。どうすれば日本人にメリットがあるかを考えて行動できる外交官がそう言った中途採用の中から新しい血を取り込み、そして政治家も白か黒かの2極思考ではなく、多極的に考えることができる外交官が増えて欲しいなあと思う。

 

 国を守るのは防衛省ではなくまず「外交」。