悠々談談

日々思うことを、つらづらと

ジャニーズ問題のもう一つの論点

 性加害問題は大きな論点であるのは論を待たない。今後の補償の問題とか解決すべき問題は山積みである。それは否定しない。しかし、背後に日本社会を覆っている大きな論点がある。

 

 それはパワハラである。

 

 ジャニーズの問題で言えば、ジャニー喜多川に逆らえば仕事ができなくなるという圧力。喜多川の相手をしないという選択肢もああったが、それはスポットライトを浴びるチャンスを逸することになる。それも判断力がまだ大人でない段階で対応するのは酷であったと思う。そして、上位者が下位者に対して圧力を加え下位者の意思と関係なく何らかのやり方を強いるのは、ジャニーズ事務所に限ったことではない。会社社会で見て取れるし、それが当然だという暗黙の了解認識があるようにさえ感じる。先輩社員、上司からの命令、指示は絶対的な強制力を伴う。もちろん、上司、会社からの指示すべての内容がNGとは思わないし、指示に従って動けばうまくいくこともあるだろうが、その指示はあくまで経験値からくる成功譚からのものである。その指示が現実的に今そこにある課題の解決、プロジェクト進行にかなわなくても良しとして進めなければならない。 仕事以外にしても、会社の飲み会が半強制的であったり、酒を飲むように強要されたり。セクハラもある意味で広い意味でのパワハラだろう。応じなければ、日常をその上司なりと同じ空間で仕事をしづらくなる。

 パワハラにあっても、もの言わぬ新人が好まれ、それゆえ体育会系出身者が就職でも王道を歩むことができたのが、昭和の時代だった。ある意味で、封建社会的ピラミッドが社会に存在し、下位から這い上がってこそもの言えるようないなる社会構造が根本にあった。だから、下位構成員のうちは我慢。

 

 でも、それは過去のサクセスストーリーが実効性を持ち、社会全体が右肩上がりであった時だからこそそれは赦されたのかもしれない。そしてピラミッドを上っていくと、自分が圧を下位者にかける。最近、YouTube慶應大学の応援団の日常を見たけど、まさに、パワハラの世界そのものだった。

 

 今、アフターコロナの社会。失われた30年の真っ暗クラの2024年の日本である。自分は今はコワーキングスペースで仕事をし、必要に応じて会社とZoomなりTeamsで話をしながら仕事を進めている。メンタル的にも、フィジカル的にも安定した仕事環境の毎日だ。しかし、パワハラピラミッドの上位者にとってみれば、下位者が仕事で成果を出してよしとしない。ネットワークの中ではパワハラというパワーが発揮できないからだ。だからリモートの際も、サボっていないかと探りを入れる。

 

そもそも成果を出していれば、9時5時の勤務をしなくて成果を半日であげられれば、その後を配信で映画を見たりしてもいいはずだ。これは、実際のオフィスではそうはいかない。無言の圧でオフィスは覆われ、帰れない。帰るとそれに対して文句を言う上司もいたり。

 

「まだ、仕事してるやついるのに、もう帰るのか?」

 

今回のジャニーズで究極のパワハラという指摘がないのは、性加害ではなく、違うやり方でコントロールすればよかったんじゃないか?という潜在意識が日本人の意識の中に‘あるからではないか?企業はパワハラ、セクハラに対する窓口を作っている。そして個人の尊重とか言っているが、どこまで本気なのか。それでも、パワハラアカハラ、セクハラで組織を追われるというニュースは見るようになった。日本人社会は急激な変化は嫌うところがあるから、少しずつでも変わっていこうとしていると信じたい。