悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「福田村事件」を鑑賞しました

 ネタバレはあります。

 私は、主人公夫婦は当然フィクションの人物だけど、朝鮮半島朝鮮人が酷い目にあっても、それを助けることもなかったことに痛みを感じている。

 この2人は、ある意味でこの映画を見ている、2023年の日本人をあらわしているのではないか?そう思ったのは最後のシーンを見たからだ。

 

 パンフレットについていた脚本から、最後の部分

静子「どこへ行くの?」
智一「教えてくれないか」
静子「(静かに笑って、頷く)」

 

2023年の日本。民主政治は危機に瀕している。国会での議論もなく防衛費最優先の予算が組まれ、関東大震災朝鮮人虐殺を権力が簡単に否定してしまう現状。最初の静子のセリフは、もう、この映画を見たあなたなら、何をすべきかわかるでしょ?という問いかけであり、教えてくれないかと聞く智一は、この映画を見ていない日本人。そして、静かに笑って、頷く静子は、この映画を見て自分がやるべきこと思いを馳せる映画を見た人。

 

もう、黙ってみてるわけにはいかなくなったわよね。が、笑って頷くに続くように思えた。

 

 

そして、この映画のすごいことは、朝鮮人が殺されたにすると、歴史をなぞるだけになるが、日本人が対象となったことで、劇中で、殺されて良い人なんているんか、というセリフが存在したこと。これが、この映画の厚みを感じさせる点だ。

 

2023年。野党も与党も、ガラガラポンで議員を総入れ替えしないといけないところまできてそうな気もしている。そして、行動してももう、遅い、というレベルにはまだ達してない。私はそう信じたい。