悠々談談

日々思うことを、つらづらと

シベリア鉄道 番外編 サンクトペテルブルグと映画

 今から40年前の当時ソビエト、サンクトペテルスブルグ、当時のレニングラードに行ったときのことです。北京から国際列車に乗りモスクワまで行き、さらにそこからレニングラードまで、日本をたって10日かけて日本海からはるばる9000キロ。

 私はイルクーツク、モスクワでも一泊しましたが、最終目的地のレニングラードが1番の楽しみでした。歴史のある街だし、芸術の街。着いたら、夜はバレーかサーカスをみようと思っていました。ところが、着いた日が月曜日で、休演。エルミタージュ美術館はいけましたが、それ以外は予定していた観劇がダメ。愕然としつつ、メインストリートであるネフスキー大通りを歩いていると、映画館が目に入りました。

 なんの映画かタイトルは覚えていませんが、看板はコメディ要素の入った戦争映画でした。予め言っておきますが、英語は片言で話せましたが、ロシア語は、アルファベットはなんとか読めても、聞き取りは出来ないレベルでした。

 でも、外国、それも社会主義の国の映画館の空気を味わってみたくなり、入ることにしました。その頃、NHK教育テレビで「モスクワは涙を信じない」と言う映画をみていて
ソ連の映画に関心があったからかもしれません。
 
 窓口で切符を買い中に。満員ではなかったですが、そこそこ埋まっていました。ポップコーンとかはなかったような気がします。空いている席に着きましたが、後で指定制だったことを知りました。何か軍人さんに話しかけられましたが、分からないのでポカンとしてました。
「ここは俺の席だよ」と言われたのかもしれません。

 上映開始。まずは10分ほど、モノクロのニュース映画。みんなシーンと見ています。おそらく共産党幹部が地方を視察したときの映像のようでした。鉄道からおりて歓迎をされているものと、工場のシーンのニュースだったと思います。

 そして本編上映。今度は打って変わって、途中で笑ったり、それも大きな声で笑ったり、当然、ロシア語のわからない自分には、なんのことやらですが、雰囲気は、ニューシネマパラダイスのあの劇場のような雰囲気でした。

 終演。人々は笑いながら席を立って劇場を後にして行きました。

 帰国直後に、大韓航空機撃墜事件があり、みんなからよくあんな怖い国に行ってきたねと言われましたが、あの映画館に溢れた笑い声が鼓膜にこびりついているため、私には「怖い国」と言うイメージはなかったですね。そして、数年にしてソ連崩壊。

 ちなみに翌年大学を卒業。映画会社に入社。その映画会社で「戦艦ポチョムキン」のビデオを
売る営業の仕事についたのは、やはり、ソ連、ロシアと縁があったのかもしれません。