悠々談談

日々思うことを、つらづらと

40年前の東京の映画館

      広島出身だから上京は新幹線。多摩川を渡り大田区の住宅街が高架下にみるとそろそろかと思い、有楽町駅手前の日劇が見えると荷物を網棚からおろしたものだ。

    この日劇には後悔の思い出がある。新世界残酷物語という映画を見ようと日劇に行くと行列ができている。並んでると、この券みるんならあげるよと知らないおばさんから声をかけられた。見たらキャンディーズの解散コンサートの券。でも、そのときは断って列をはずれてしまった。ウイキみても日劇コンサートのことは出ていない。ただ、そのときの映画のことはすっかり忘れた。

     日比谷映画は自分にとって東京を象徴する映画館だった。東京の主要映画館はそこで上映するロードショーのパンフレットにはその劇場の名前が刷り込んであった。新宿ではプラザ劇場。広島ではロードショーも二本立てだったから、一本だけというのは少し損したような気分になったが、それだけ気品を感じたし、応援上映なんていわなくても特に初日とかは自然と拍手と笑いがわいた。

      その点は上品すぎるよ、いまのシネコン

       よく行った名画座は 銀座並木座。階段をおりるとスクリーンも小さな映画館でお世辞にも椅子は座り心地よくなかったが、ジリジリと映写室から投影されたモノクロ映画。いまとなっては貴重な体験。映画が終わったあとは前にあったミルクホールでホットミルクを飲んだ。

   次にお世話になったのは池袋文芸坐と文芸地下。文芸坐は洋画、文芸地下は邦画の色分けだった。一階にカフェがありここのカレーは美味しかった。あと文芸坐といえば、中国映画祭も忘れられない。池袋の場末のキャバレー街の行き着いた場所に文芸坐はあったが、そこで毎年一回、中国映画祭がありその期間の土曜日はオールナイトで中国映画の古い文革時代の映画とかもふくめお得で貴重な機会だった。

    あと早稲田大学近くの雑居ビルの二階にATGの作品とかを見せる劇場があった。劇場といっても8ミリ映写機でスクリーンに投影し、みる人は座布団に座ってみた。たしか、おせんべいとお茶が出た記憶がある。

     あのころは雑誌ぴあが出ると真っ先に買い見に行く、行きたい映画を赤丸チェックし、ページを折り込んだ。後ろの方に大学のサークルや自主上映のスケジュールもあり貴重だった。

 

 

    こうしてみると、はいるべくして映画会社に入社したといえるのかもしれない。