悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「窓ぎわのトットちゃん」を見て思ったこと

 久々に映画を見て泣きました。以下ネタバレありです。

 

 トットちゃんの家は裕福だったと思う。黒柳徹子のパンダ好きは有名だが、映画の中でパンダのぬいぐるみが出てくるのは、叔父さんが米国で買ったお土産で

それを機にパンダ好きになったことを知ったし、朝はコーヒーを豆を挽いて飲んだり。

 

 とにかく、とても昭和のこれから戦争という生活ではないのだ。

 

 それが.....

 

 特に終わり近くになると色々と変化を見せてくれる。

 

 ・電車の改札にいたおじさんが女性に変わっていた(男性はみんな戦場へ)

 ・ペットで飼っていた犬の首輪だけが映し出される(ペットも供出されて食肉に)

 ・家にお母さんしかいない(お父さんは戦争へ)

 ・お弁当がなくなり、豆粒だけになる(配給で満足にお米が手に入らない)

 ・ファッショナブルだったお母さんがモンペを着ている

 ・防毒マスクをつけた子供が遊んでいる

 ・そして、青森への疎開

 

 ガザを見てても思うのだけれど、子供は社会がどんなに大変でも子供社会をしっかり持ち続けていて、それを楽しんでいる。とっとちゃんも小児麻痺の友達の死が、悲しくて仕方なかった。でも、戦争は子供の毎日もないものにしてしまう。そして、トモエ学園も空襲で焼けてしまう。でも、自分の世界をしっかり持っていて、見る側はそのトットちゃんの世界と、背後にある戦争という社会の持つ課題も感じる。

 

 戦争中の庶民を描いた映画といえば片渕須直監督の同じくアニメの「この世界の片隅で」がある。絵のタッチは同じよな印象を持った。窓ぎわのトットちゃんも戦争を描くのは、街の雰囲気が変わってきたこと、そしてB25の爆弾投下シーンだけ。ただ、子供もそんな中でも元気に生きて、遊びを見つけて毎日を送っている。‘この二つのアニメは共通するものが多いと感じた。ただ、戦争による「死」は描かれていない。

 

 子供と見ることあれば、戦争は直接は描かれてないけど、背景にある「戦争」の話をするべきではないかな、と思った。

 

 なぜ泣いたか?友達が亡くなって泣きながら街を走り抜けるトットちゃん。彼女が走り抜ける街の至る所で戦争をイメージするものが溢れている。それでも懸命に走り抜けていく姿に

ちょっと目頭が熱くなった。