悠々談談

日々思うことを、つらづらと

自然と共存の難しさ、その克服

 自宅を掃除する。キレイにしたとしても次の掃除の時、掃除機をかけると掃除機には綿ぼこりが吸い込まれている。おそらく毎日掃除をしてもそうだろう。買って何年もたった本は紙魚(しみ)が湧いたり。冷蔵庫に入れていても限度過ぎればカビが繁殖する。ゴキブリも殺しても殺しても生存を誇示してくる。家を取り壊して更地にする。何もない土の状態にしたまま数日、1週間たつと雑草が生い茂った空き地になっている。その土地が誰の登記上の所有者かは関係ない。

 この地球は人間様の持ち物だと人間が思い込んでいても、そうではない。綿ぼこりの構成要素が何かは知らないけど、その構成要素と一緒に生活している。違うか、暮らさせていただいてる。カビにしても、本の紙魚も、人類より歴史古く存在するゴキブリにしても、彼らの世界に70年、80年人間はいさせていただいている。雑草と人間の身勝手な名前をつけているが、この大地にしたって彼らの繁殖、生育場所であって、登記したから誰々のものというのは、人間のかりそめの概念でしかない。

 雑草たちはそれでも、生き延びている。しかし、人間様の創造物は地球資源の浪費を続ける。それに対して地球という惑星は沈黙の抵抗を続けてきた。そして人間様はいい気になっていたけど、気がついたら真夏の温度が50度なんていう記録が出てきたり、洪水、山火事が頻発している。農作物だって、天候の影響で不作だったり。その沈黙の抵抗がここにきて急激に可視化されてきている。

 かといって今の生活、地球の資源を浪費する生活、例えばプラスチックを多用し、エネルギー消耗で成り立っている社会を無くする事は難儀だ。それによって得られる功も十二分に存在することを知っているから、ゴミ出しの時に分別することで「地球環境保全に貢献してる」と勝手に納得している自分がいたりする。でも、そんなレベルではあかんところまで来ている。

 以上、六本木で開催されている「森美術館開館20周年記念展私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」を見て感じたこと。

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