悠々談談

日々思うことを、つらづらと

自由と民主主義って何だ?

 そもそも政治とは一つの共同体社会の中における適正な富の配分を決めるのが本来の意味だと思う。

それを決める為の議論をする場が議会であって、議論する人が政治家。それを我々が選挙で選ぶ。その当たり前のように思ってきた仕組みが機能しなくなってきている。

 選挙自体が、リベラル対反リベラルの戦いを見せるが、リベラルが弱者を救う政治とも言い切れなくなってきたし、経済の落ち込みで税収が落ち込む。小さくなったパイの

奪い合いに弱者は置いてきぼりを食う。時にデモで反乱もするが微力。日本ではデモさへも起きない。我慢、我慢の日々。

 

 中国が共産党による一党独裁で民主主義でないというが、日本が、米国がどれだけ民主主義国家と言えるのか?

 

 実際の政治に目を向けてみる。はっきり言って西側と呼ばれる国々は弱きものを切り捨てて成長の果実を得てきたが、それも限界に近づきつつある。日本の今を考えてみればいい。飲食店はこのコロナ禍で生き残るのに青息吐息だが、その生き残りは大手チェーン店ばかり。小さな個人の店はろくに給付も受けられない。個人だってどうだ。この一年、我慢を徹底的に強いられたが、国からの給付は1人10万円だけ。その一方で、ごGoToキャンペーン。お金が欲しければ、貸しますよが政府のスタンスだが、とても国民目線とは思えない。新たな給付も拒否されている。貯金に回るだけだと。

 でも、それはそうでしょ。将来不安あればおかねは使わない。その不安の元凶は政治、だと思う。経済が回らないのは何かを買いたいモチベーションよりも、将来に対する不安が先行するからで、そういう意味では給与が上がっても消費にまわらない。

 

 ここ数年、さまざまな問題が噴出したが、行政がどういったプロセスで政策を決めたかも、決定プロセスが黒塗り。参加したメンバーが墓場に持っていくということらしい。

 

 そして、国民がひたすら我慢を強いられるのが、自由と民主主義の国と言えるのか?

 

 経済だってそうだ。株価は官制相場だし、景気だって公共事業を赤字国債を刷って増やすのがその大元としたら、中国の経済を云々言えないではないか。マスコミだって、政権に及び腰では国民の知る権利に貢献できていない。

 

 中国は共産党政権と言っても、日本が憲法9条をもつ平和国家であるというのと同じくらい内実を伴ってない言い方だ。

 中国の人権をいうなら、ちゃんとした侵害の証拠を示し、G7の各国自体、人権を大事にする政治をやるようになってからにしてほしい。