悠々談談

日々思うことを、つらづらと

香港の若者のソレは正義なのか?

 若者が香港警察に撃たれたことが、まるで天安門事件の再来のように報道されているが、果たしてそう言い切ることは合っているのだろうか?天安門事件のとき、学生たちは街を壊したり、まだ路線は少なかったが地下鉄の駅を襲撃することもなかったし、商店を襲撃することもなかった。

 しかし、今回の香港は違う。きょう見た動画だと地下鉄の駅、停車中の車両に火をつけたり、俺たちは中国人なんだから冷静になろうぜと黒シャツ軍団に注進すると、油と火をつけらりたり。中国からの旅行者を追いかけまわし、彼が持っていたスーツケースを略奪したり秩序を逆に壊しにかかっている。

 別に香港警察の肩を、または習近平政権の肩をもつわけでもないが、抗議のやり方が度を超えている。天安門事件というより、街の伝統を壊しにかかった文化大革命紅衛兵にむしろ空気は近いような気がする。

 

 彼らのいう民主化とはなんだろうか?

 

 そもそも民主主義とは国が集めた税金を公平に公正な使徒で使うことを決める仕組みだと思う。それで市民が豊かになればいい。ところが、黒シャツが嫌う中国本土は選挙もなく、言論弾圧があるといっても空前の好況。落ち込んでいるといっても、GDPの伸びは6%を記録。世界統計によれば貧困層の数も10億人減少している。格差も縮んできている。そして、香港に隣接する深圳は、中国中から若者が集まりIT先進都市になっている。

 世界をみると、イラク、アフガン、シリアとならず者の独裁政権を米国が先導して倒していったが、どの国をとっても政治が落ち着いて

いるようには見えない。ミャンマーもそうだ。スーチーさんは気がつくと外国人の配偶者がいるからと国家顧問でやりたいようにやっている。それは民主主義とは言えない。結局のところ、米国資本が商売できる環境をつくることが、「民主化」にこめられているのではないか?と思えてくる。

 その視点で見ると米国が後ろで糸を引いているというよりも、なにも動かないことが、最終的に香港の中国資本がボロボロになり、そのあとに入り込む意図が生まれる、ある意味でショックドクトリンが展開されることになるのではないか?と思うのだが。

 

 追伸 その民主主義の定義からいくと、税金を身内にいいよいうに使い、エビデンスとしての書類も破棄、議論、論争ができない議会を

    有する日本は民主主義とはいえないか。