悠々談談

日々思うことを、つらづらと

日本の自動車産業は大丈夫か?

   小学校の時、ロータリーエンジンで知られたマツダ、当時の東洋工業に社会科見学に行った。関東に出てきてからは、かつて住んでいた藤沢にはいすゞのトラック工場があった。工場は24時間操業で、最寄駅の長後には朝からお酒も飲める赤提灯の飲食店があって、朝から飲んでいる人がいたのを思い出す。また、ゴーン時代の日産自動車で3年ほど契約社員で働いた。EV部門の管理の仕事で、まだまだテスラもこれからの頃だったが、日産のリーフが世界でけっこう売れていた。EVについては、日産が技術的にバッテリーでアドバンテージあったのは確かだった。率直なところ、テスラとリーフの時代が来るのかなとも思った。EVバッテリーで一番の問題は火を噴くリスクで、日産は一度もそういう事故がないと聞いた。その技術料がコストに反映するからEVは高くなる。そのあとゴーン事件があったが、ゴーンがいなくなってビジネスが、さらに伸びたという話は気かなかない。あのゴーン事件は一体何だったんだろう。

 

 その自動車業界は、トヨタ天下の日々が続いてきたが、ここにきて風向きが変わってきている。EV化のファンファーレを高らかに打ち上げたが、本気度は薄く、水素とかEV以外の開発に力を注ぎ、メディアでは、トヨタ応援団としか思えないEVダメダメ論が溢れている。そして今、子会社のダイハツの全車種が不正問題で全車種出荷停止。そして米国でレクサスなど100万台がリコール。自動車産業が日本の屋台骨を支えているのは確かだが、その屋台骨が揺らいだらどうなるか?

 

 EVについていえば、音楽デバイスを想起すればわかりやすいかもしれない。昔は音質が良ければそれは売れると信じ込まれていた。アナログレコードからデジタルになって、コンサートホールで指揮者が楽譜をめくる音が聞こえる!音質が注目された。しかし、消費者が求めるのはそれではなかった。スマホで、それもワイヤレスで聴く音楽はお世辞にも音質がいいとは言えないが、その音楽をサブスクで聴くのが主流となってしまった。それの背後に何があるかというと、音の質を求める流れではなく、音楽も含め生活の中で楽しむための環境、スマホでいうOSが鍵になって来たということだ。自動車も同様。‘クルマ屋がかっこいいクルマを作る時代ではなく、自動車をスマホ本体に例えれば、これからの時代は自動車のOSをどうするかの時代になってきたということだ。ところが、自動車産業はあくまでクルマ屋的発想から抜け出せない。OS視点からいけば、EVは必然だろうし、EVを通して、スマホについてスティーブ・ジョブズが語った言葉を借用するなら「自動車を再定義」しなくてはならないのに、日本の自動車会社は昔の定義で走り続けている。動力はEVとしてOSをどうするかの発想が欠落している。日本の自動車業界をめぐる様々な事件は、再定義ができかねているそのツケという側面もあるんじゃないだろうか?

 

 これからこれまでハンドルを握っていた団塊世代後期高齢者になっていくことで、自動車に乗らなくなる。東京圏はもはや自動車は全世代的に日常的に必要なツールとして人々はとらえていない。そして地方は高齢化が進み、乗らなくなる。となってくると、これまでのようなマイカーという概念は持ちづらくなる。地方であれば、無人のバスが定期運行し、東京など都会圏ではシェア自動車が増えてくるようになるのではないか?人口減を考えれば、これまでと同じ台数が売れるとは考えられない。まして、不祥事が頻発すれば、海外での売れ行きにも影響するだろう。

 

 タイトルで、「日本の自動車産業は大丈夫か」と書いたけれど、甚だ心許ない。