悠々談談

日々思うことを、つらづらと

映画「すずめの戸締り」を鑑賞しました

 この映画のテーマは、いまだにどこかで311で死別した母親への深い思いのあるすずめが、前に進み出すことも大きな意味があるような気がする。

 

以下 ネタバレありです。

 
 最初の方ですずめが要石を抜き、ダイジンを生き返らる。そしてダイジンがお前は、じゃまと草太を椅子に同化させたのは、すずめが、小さい頃後ろ戸を開けたままで、それを閉めに行かせようと考え、そのためにも東北のその場所に誘導したかった。草太がいると、東北のその場所にたどりつけないかもしれない。ひょっとしたらすずめのお母さんの化身がダイジンだったのかもしれない。これ以上、過去を引きずらせないために。
 だから、またダイジンが要石になる直前にダイジンはすずめの子にはなれなかったと言わせたのも、母親の化身部分がそこに混じっていたからではないか?
 母親が娘の子どもになれるわけがないのだ。そして、後ろ戸をしめたすずめの姿に安心して再び要石に戻った。

 たしかに311も大きなテーマに違いないが、こうやって見ると奥深い作品のように感じてくる。