悠々談談

日々思うことを、つらづらと

呉 そして 映画「この世界の片隅に」

 昨日、映画 この世界の片隅にを見た。生まれ育った呉をあらためて思い出した。

 生まれた時は、造船で景気はそこそこよく、家の近くに日雇いの人が仕事を求めて手配師を待つ溜まり場があった。その一方で、街の商店には自衛隊歓迎の張り紙があり、街には水兵さん(正確には兵ではないが)、教育隊の人を週末とかよく見た。

 映画で、すずがだんなさんを迎えに行った場所は、映画にあったままの姿で自衛隊の集会所だった。

 呉港に行くと、その風景の中に潜水艦が自然にあった。

 なだらかな道路(本通り)を登って行き、少し折れたところに昔の遊郭があって、連合艦隊が呉に来ると水兵さんが大挙して押しかけ、ちんちん電車もそこまで乗り入れた。すずが道に迷っておねさんに道を教えてもらったのもその辺りだろう。そして、長ノ木町は通った中学、高校のあった場所。

 話の中にも出た灰ケ峰。映画にもあった高射砲のことは聞いたことがあった。映画にあったように呉線の列車は呉港が見え出すと海沿いはシャッタを締めさせられた話も聞いたことがあるし、その灰ケ峰は写真とか絵画では修正で消されていた。ちなみに標高737は呉市の郵便番号と同じ。 

 すずの嫁ぎ先が長ノ木町だけに、通学の時に見た記憶のある蔵とかが何度か出てきた。また、呉市の商店をすずが歩く時、いきなり同級生のお店「小松屋」がアップになり、呉の銘酒千福の広告も見に飛び込んできた。

 そういえば子供の頃は、まだまだ防空壕が残っていて、立ち入り禁止になっていたり、ゴミ置場になっていたりした。そりゃそうだ。戦争が終わってまだ20年しかたって

なかったんだから。

 ただ、違和感あったのは、呉市が空襲で焼け野原になった描写。実家の前は戦争中から市役所で焼け残っていた。そのビルは出てこなかった。あと呉にきた占領軍は米国ではなく英国だった。

 まあ、それは大した問題ではない。

 当時は、大日本帝国だったが、国に言われなくてもみんな必死に生きていた。それをすずが体現して見せてくれた映画だった。そして今の社会。

 「がんばろう日本」というスローガン。政治は呆れるばかりの政策てんこ盛りだが、みんな言われなくても必死に生きている。みんなが一生懸命頑張っているから能天気な政治ができている。そういうこともふと思った。