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悠々談談

日々思うことを、つらづらと

この世界の片隅に ようやく映画評

 この世界の片隅に。周作(すずの旦那さん)の母親が言った言葉「みんなで笑って暮らせたらええ」。これが一番心に残る。政治はみんなが笑って過ごせる世の中にすることが仕事だもの。でも、あの時の政治はそうでなかった。

 映画の中で、すずをはじめ、戦争に疑問を持つ言葉が、いたるところに出るが、それでも国のいうことを信じて進んでいく。生活をしていく。そして8月15日。一気にこれまでの、耐えてきた部分が堰を切ったようにすずの口から吐き出されていく。涙と共に。それはすずに限らず、日本人全員が共有したメンタリティだろう。

 この庶民が笑って過ごせる毎日は、政治の基本だと思う、いまも昔も。

 

不穏な空気と「この世界の片隅に」

 今年観客動員で記録を叩き出したのは、シンゴジラ君の名は。いずれも東宝の系列館総動員の結果。そして年末、大枚を叩いて百田尚樹の「海賊とよばれた男」の映画がお客を呼び込む目論見のようだ。

 一方、この世界の片隅には、クラウドファンディングで資金を集め、バックも東宝に比べれば弱小な東京テアトル。宣伝もそんなにかけられない作品が、口コミでお客を劇場に呼び込み、今日も新宿テアトルは座席は満席。立ち見のみ。劇場も、東宝や松竹のような大手とは違い、席数も小さく、公開劇場はあと首都圏も郊外のシネコンが多い。

 口コミやネットでじわじわと広がっていくこの作品。ロングランになって記録を作って、一人でも多くの人二見て欲しい。

 映画評は別途書きます。

呉 そして 映画「この世界の片隅に」

 昨日、映画 この世界の片隅にを見た。生まれ育った呉をあらためて思い出した。

 生まれた時は、造船で景気はそこそこよく、家の近くに日雇いの人が仕事を求めて手配師を待つ溜まり場があった。その一方で、街の商店には自衛隊歓迎の張り紙があり、街には水兵さん(正確には兵ではないが)、教育隊の人を週末とかよく見た。

 映画で、すずがだんなさんを迎えに行った場所は、映画にあったままの姿で自衛隊の集会所だった。

 呉港に行くと、その風景の中に潜水艦が自然にあった。

 なだらかな道路(本通り)を登って行き、少し折れたところに昔の遊郭があって、連合艦隊が呉に来ると水兵さんが大挙して押しかけ、ちんちん電車もそこまで乗り入れた。すずが道に迷っておねさんに道を教えてもらったのもその辺りだろう。そして、長ノ木町は通った中学、高校のあった場所。

 話の中にも出た灰ケ峰。映画にもあった高射砲のことは聞いたことがあった。映画にあったように呉線の列車は呉港が見え出すと海沿いはシャッタを締めさせられた話も聞いたことがあるし、その灰ケ峰は写真とか絵画では修正で消されていた。ちなみに標高737は呉市の郵便番号と同じ。 

 すずの嫁ぎ先が長ノ木町だけに、通学の時に見た記憶のある蔵とかが何度か出てきた。また、呉市の商店をすずが歩く時、いきなり同級生のお店「小松屋」がアップになり、呉の銘酒千福の広告も見に飛び込んできた。

 そういえば子供の頃は、まだまだ防空壕が残っていて、立ち入り禁止になっていたり、ゴミ置場になっていたりした。そりゃそうだ。戦争が終わってまだ20年しかたって

なかったんだから。

 ただ、違和感あったのは、呉市が空襲で焼け野原になった描写。実家の前は戦争中から市役所で焼け残っていた。そのビルは出てこなかった。あと呉にきた占領軍は米国ではなく英国だった。

 まあ、それは大した問題ではない。

 当時は、大日本帝国だったが、国に言われなくてもみんな必死に生きていた。それをすずが体現して見せてくれた映画だった。そして今の社会。

 「がんばろう日本」というスローガン。政治は呆れるばかりの政策てんこ盛りだが、みんな言われなくても必死に生きている。みんなが一生懸命頑張っているから能天気な政治ができている。そういうこともふと思った。

 

 

 

 

 

 

天皇のお言葉

 今日の天皇のお言葉を聞いて、これが日本国憲法の描いた日本なんかなと思った。国民が平和に暮らす。いいことも悪いこともある。それを国民の目線で見つめる象徴天皇がいる。

 今上天皇は自分のために死ねと国民に言うことはないだろう。むしろ、そういう事態になったら、身を投げ打って国民を守ろうとされるだろう。

 そして、何よりそういう事態を起こさせない政治。でも、今の政治は我慢を国民に強いる政治。そして天皇中央集権国家を目指す日本会議的国家観。

 国民がどっちを支持するかは明白ではないか?

日本を取り戻す

 安倍首相の好きなフレーズだが、ただ、私はその日本の解釈、定義が違う。

 安倍首相の言う日本は勇ましく、力強い、富国強兵日本。

 自分のイメージする日本、取り戻したい日本は、寅さんの生きていた日本。

 

 今、48本を最初から見ている。葛飾柴又の人情味あふれるところがとてもいい。特に好きなのは寅さんが、ある時は妹のさくら、ある時は旅芸人の女優に、長財布からお札を出し、これで、美味しいもんでも食いな、と渡す。さくらのこども満男にお菓子でも買ってやれとこれもお金を渡すのだが、大きなお札を渡してしまい、お札入れはカラ。ちくしょう、間違っちゃったというんだが、取り戻しはしない。

 そんで柴又に帰ってきてひと騒動かけるんだが、みんなに迷惑もかけるんだが、いなくなると、とらのやつどこで何やってんだか、と心配する。

 

 でも、そんな人情あふれる柴又帝釈天。そんな人情あふれる街が日本中にあった。それが小泉改革以降、シャッター通りと化し、先日も大学の近くを歩いたら、30年前にはなかった、コンビニがそこかしこに。本屋さんだって、大書店もトーハンや凸版に出資をあ仰いでいるのが実情。ここに行けばあの本があるという目をつぶってでも歩けるとこがなくなってきた。馴染みの書店では、あの作家の本入ったよ、とかね、言ってもらったもんだ。

 

 今見ているのは1970年代。今の利便性はそのままに、あの頃の日本を取り戻すことはできるのか?

 

 

日本国憲法は遵守されているのか?

 政府の憲法をめぐる姿勢は、解釈で条文の趣旨を逸脱、こねくり回す。国なり、行政が憲法違反で訴えられても最高裁違憲判決が出せない。そうやって事実を積み上げ、国民のしょうがねえ感を醸し出してきたのが戦後の姿。

それでも、尊属殺人違憲判決で刑法から削除されるといったことはあったが、国の根幹にかかわる判決で違憲が出た事実をしらぬ。

そんな政権が、日本会議と一緒になって前のめりに憲法改正を言っても、だからなんだといいたくなる。時代の変化に対応できないといっても、対応してきたのではなかったのか?昨年はそれで安保法制を通してしまったではないか。

いま、憲法改正の眼目は国家非常事態条項だといわれている。それにより現行憲法を停止し、国民の権利を縮小し、義務を強いる新憲法を制定する。それが自民党憲法草案?

ひょっとして、その憲法改正自民党は永久不滅政権をめざしているのではないか?でないと、政権に有利な条項をいれた憲法をつくることは考えられぬ。

先の参院選がその一里塚であったということにならないことを祈るのみだ。

お仕事とお給料

年功序列に準じた給与体系。これはたとえば、人生、結婚、出産、子供の進学、住宅ローン、子供の結婚といった人生が進むとお金がかかる。それに対応できるようにと、つくられた仕組みが年功序列の給与。要は会社があなたの人生面倒見るよ、があるいみで本質。
成果主義の会社でも、家族手当とか、家賃手当なんぞあれば、まさに、表づらは成果主義でも、内実は年功序列の給与。だから、転職組に対する給与は、前職の給与を参考に構築せざるをえなくなる。
でも、そういう経済環境ではなくなってきている。
いま言われる、同一労働同一賃金は、この年功序列の給与のままでは、機能しない。あなたは、これとこれができ、なおかつ部下の管理ができるから、たとえば700万という仕組みだし、それを会社、派遣会社が判定していくのだが、その給与査定システムが存在しないと難しい。だから、外資系リクルーティング会社は定期的に色んな職種の給与調査を行う。経営者は、それをみて、自社の給与水準が適正かみるわけだ。そして、会社が個人の能力を適正に評価できるか、の問題もある。
残業代ゼロ法案が議論をよんだが、いまは、残業代が生活給、賞与も生活給の一部にくみこまれているから、制度的に受け入れ難くなる。つまり、この部分だけ先行したら、生活給がけずられるわけだから、不満だけが残る。
無論、制度をそのように変えていくのは、大変なエネルギーがかかるし、時間もかかる。参院選の公約でどうこうできる問題ではない。与党は同一労働同一賃金を公約としているが、それは新しい判断で反故にされるリスクの方が高い。
そういうことを、いまとりかからないと、優秀な日本人は海外の企業にとられ、優秀な外国人の若手もとれない。もう、猶予はない。