戦争映画というと、四六時中戦場シーンか、悲惨なシーン連続が定番だった。そして、昨今も永遠のゼロなんていうのもあった(苦笑)。
そういう戦争映画や、あと文章を読んできたせいか、庶民も暗ーく沈んでいるように思っていた。昭和一桁の時代なんて真っ暗な社会情勢なんじゃないかと思っていた、まして、対米開戦以降なんて。
でも、そこに人間がいて、家族がいて、男がいて女がいれば、笑いもあれば、涙もある。今と変わらない社会がある。もちろん、戦争の影は確かにある。それでも、庶民は
一生懸命生き、恋もし、笑いもした。そして、究極の所で、戦争という毒牙が襲いかかってくる。でも、それに毎日、「欲しがりません勝つまでは」と苦虫潰していたわけではない。
それを認識させてくれた映画は山田洋次監督の「小さいおうち」で、このドラマの主人公のお手伝いさんタキの平成版を演じている大伯母倍賞千恵子から話を口述筆記していく妻夫木聡が発した言葉。
「おばあちゃん、それはないよ、その時代、226とかあってそんな明るいはずないよ」
はずはなくても、社会というのはそうやって動いて、そこに庶民の日常があったのだ。
それは「この世界の片隅に」で、すずが言った言葉にも感じる。
「すぐ目の前にきたあ思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろう」
これは配給で並んでる時の言葉。そして、少ない素材を使って家族の食卓を用意する。配給がなくなれば雑草かったり。庶民は、鬼畜米英だあ、贅沢は敵だといわれながらも必死に生き抜いていた。そして、時に笑い、ながら。それは、お国のため、というよりも今を生きるに必死だったと思う、庶民は。
それでも、戦争は最後にはそれを破壊にかかってくる。
そのコントラストの描き方は、「小さいおうち」「この世界の片隅に」共通するものがあるような気がする。