悠々談談

日々思うことを、つらづらと

日本にLALALandはないのか?

  若いうちは夢を見ることが許され、ある歳をすぎるともっと大人になれと諭され、食うために夢をすて組織の歯車になり、ひたすらその歯車を回し続ける。そして、夢は、本当に自分がやりたいことは封印してしまいこんでしまう。だから、毎日の仕事が人生を楽しむためではなく、生きるためになり、そのために朝の通勤電車は実に殺伐としている。足を踏まれると踏んだ方が悪いと言わんばかり。

 LaLaLandはロサンゼルスのこと。ここでスターを夢見てウエイターやウエイトレスをしながら、オーデションを受けて行く。大人はそれをいつまでも夢ばかり追ってる人たちと冷笑的言う時の言葉らしい。

 でも、どうなんだろう。確かに霞を食べて生きることはできない。でも、最初からそれを諦め、日本の新卒社員のように、大企業に入ったら老後に備えてお金を貯める。かと言って、老いてしまえば何ができるわけでない。

  昔こんな話を聞いたことがある。本が読みたいがお金がない。それで一生懸命働き、会社を起こし、大成功した。しかし、その時には視力も読書したいと言う意欲もなくなっていたと言う。それに近いことは、日本のいたるところにあるのではないか。若かりし頃、やりたいこと、夢を封印して働いて定年。

  24時間が自由に使えるようになっても、何をすればいいのかわからない。

  もちろん、夢だって誰もが実現するわけではない。米国はアメリカンドリームの国だが、成功よりも失敗する人の方が断然多い。それでも人は諦めない。自分が30代の頃いた米国のゲーム会社のオーナーは、会社は潰れたが、別の会社を作っていたり、もう70代のはずだが、夢を求め続けている。

  人生は一度きり。自分のLALALANDを求めるのも悪くないのではないか?でも、一度の失敗をすれば人生のブラックリスト入りする日本のシステムでは、LALALANDは絵に描いたもちなんかな

     映画の冒頭のフリーウェイ。これなんか、ある意味で渋滞というのは、最もストレスためるものだし、ああいう風に飛び出して踊り出せれば、というのは、やはり、米国社会にもある閉塞感を打ち破りたい願望の表現だったのかもしれない。

 

   この項つづく