悠々談談

日々思うことを、つらづらと

南北問題の国内問題化

 南北問題の国内問題化。

 誰の論考だったか覚えてないが、強く印象に残ったのがこの考え方。

 日本の高度成長もそうだが、開発途上国で安く商品を、もしくは原材料を調達し、国内市場もしくは、輸出で利益を出す。このやり方で先進国は世界経済を好きに出来た。途上国の労働環境は劣悪で、過酷な割には低賃金。例えばiPhoneの工場の鴻海科技集団の中国工場の労働環境の劣悪化が世界的に問題になった。しかし、そこで出来たiPhoneを先進国の人が使う。それも高額なお金を出して。でも、その高額なお金の一部しか末端の労働者には届かない。

 でも、その作り方もできなくなった。工場も、ベトナムバングラと移っていったが、もう世界の次世代の工場はない。原価はもはや下げられず。

 商品の原価がこれ以上下げられないとなると、商品の川下、国内で削るしかない。それが南北問題の国内問題化。例えば、爆買いの免税店で交通整理、団体バスの誘導をするのは、日本の非正規雇用であったりするわけだ。

    最近は駅のホームも警備会社が請け負う。平日の朝、山手線に乗る人は、7時台は、顔が日焼けしたリュックを背負った中高年がおおい。リュックの中には、作業着があり、時給仕事のための出勤である場合が多い。

 高度成長期の映画で、植木等の日本一のホラ吹き男というのがあった。主人公は、一流会社の採用試験には敗れるが、警備員として社員に採用され、次々と階段を上っていく。そういえば、吉野家の社長、会長はアルバイト上がりだったが、今の日本にそう言ったシンデレラストーリーは見えてこない。これが絶望を呼ぶ。

 国と国の南北問題は、国の政策で動かすことはできるが、国内の南北問題は、その益を享受の側が国内にいて、なおかつ、権力側にいるから、打開はなかなか難しい。考えられるのは、国境を超えた動きしかないのかもしれないが、国家という枠組みがあるとそれも難しい

 世界は解くのが難しいパズルを解きたい国民と、解かせたくない権力サイドの厳しい戦いの時代になったのかもしれぬ。