悠々談談

日々思うことを、つらづらと

日本合県国

 日本人でお国自慢というときの国は、日本国ではない。普通はその出身地をいう。もちろん、多国籍のイベントでは日本国となるが、通常は出身地であり、たとえば、長野県の人は「信濃の国」という有名な県歌をもっていたりする。ここでいう国は、信州信濃。そして、お国訛りは方言のことであり、また、風習ひとつとってみても、同じ県のなかでも違っていたりする。私は広島出身だが、広島市呉市でも、旧盆の風習は微妙に違うし、方言もおなじ広島弁とひとくくりにできない。

 じゃあ、日本国とはなに?

 これは、あるいみで日本合藩国だった徳川政府を打倒した薩長政府が、中央集権国家をつくるために偽装した国家像であったのではないか?そのために、君が代を国歌とし、日の丸を国旗とし、殿様にかわる県知事は、中央の内務省から派遣されてその地方を統治。

 でも、この日本国とういう薩長政府のつくりだした政治体制は、日清日露とすすみ、大国意識を国民にもたせ、それが第二次大戦の破局へと国民を導いた。そして、その中央集権体制は、高度成長期には軍国主義から経済にベクトルが変わりはしたが、うまく機能し、経済成長を遂げた。

 いま、安倍政権は地方創生とか言いながら、役人が東京政府の直轄統治の管理者として地方選挙に祭り上げられる仕組みは変わらない。道州制だって、一見、地方の時代を導くかのようで、実際は、中央からの管理を分散化しただけで、偽装中央集権国家だと思う。そして現在の首相も長州出身の安倍晋三

 そして、国民には愛国心という名の、明治以来の中央集権的偽装国家の継続を安倍政権はねらっている。

 たしかに富国強兵の時代には中央集権は最適な統治システムだったかもしれない。しかし、国家財政はもはや1000兆円の借金。その一方で少子高齢化。一番の貿易相手国、中国との関係は冷却化。経済は行き詰まり。

 本当は、ここで安保関連法案の議論にならない議論、法律案とは名ばかりの法律の体をなしてない法案は、とっとと廃案にし、国のかたちを、中央集権から日本合県国に変えるべく英知を絞るべき時ではなかろうか?東京政府の権限は、極力しぼりとり、霞ヶ関を解体する。もちろん、税制も抜本的にかえる。

 

 それくらいの大改革こそ、必要なのではないか?