悠々談談

日々思うことを、つらづらと

「この世界の片隅に」サギを追う(ネタバレ)

 空襲の中、すずがサギをおって広島へ行けと追っかけるシーンがある。そして走るそばには、本来あるはずのない海苔を乾かす台が並ぶ。心の中で、妹のすみが広島に帰っておいでえやが、ずっとくすぶりつづけてた「広島に帰る」が、あのサギとなってすずの前に現れた。

 そして、機銃掃射に生死の境を周作と超えた時、帰ると言う。でも、あの時包帯に巻かれた右手と左手がしっかりと周作を抱えている。顕在的には帰りたいと思っても、潜在的はもう北條の人になってたんだと思う。

 見れば見るほど奥が深い映画だと思う。

「この世界の片隅に」多少のネタバレありですが 改訂版

 この映画の後半は右手がキーワードだと思った。

 すずが畑で、敗戦を知ったあと号泣するがそれがピタッとやむ。そして呆然と花に目をやるシーンがある。私は、それがなぜ泣きが止むのかわからなかった。しかし、原作を読んで知った。あの時いなくなった すずの右手が彼女の頭を撫でるのだ。それで、すずが我にかえる。

 映画では右手が出てこないから唐突感がある。

 その代わりに右手が現れるのが、戦争が終わって白いご飯を食べるとき。右手を失ったすずは、スプーンで食べようとするが元気がない。そこへ右手が現れる。そしてすずの頭に手を当てる。

 なんとなく見ていると義父の円太郎かと思ってしまうが、あきらかに白く女性の手。円太郎が黒い覆いをとって食卓を照らすが、それはすずの心の闇をてらしたとも言えるのかもしれない。

   戦災孤児が終わりのとこで出てくるが、彼女は母親が右にいてくれたおかげで助かった。でも、ずっと握りしめていた母親の右手が忘れられず、すずの実際はない右手にそっと寄り添う。

 

 そして、クラウドファンディングの時、右手がりんさんの一生を振り返るが、それは、すずの右手が描く。漫画の原作では周平が大竹に上官のお供で行く時すずが見送るが、その時、

「右手、どこで何をしてるんだろう」とすずが思う。そこから映画のりんさんの一生を描き出す。 

最後に現れる。そして今のすずが、りんと寄り添い、最後に右手が観客に手をふって見送る。

 

なんと奥の深い映画よ。

お正月の挨拶は初春のお慶びと言うけれど

 そのあとに小寒があり大寒がある。とても春とは言い難い。なのにそう言う表現で挨拶をするかと言うと太陰暦(旧暦)の正月の風習をそのまま持ってきたからだ。

 ちなみに今年は1月28日。この日ならば、ああ、春が近いと実感を感じ始めた頃で違和感がない。季節感でいうと、忠臣蔵の討ち入りだってそうだ。雪の中の事件。12月が討ち入りで舞台や映画で上演されるが陰暦だから実際は1月。大寒の頃。なるほど、東京に雪が降り積もるわけだ、と納得できる。

 これもそれも、江戸時代以前の風習を全部捨ててしまったからだ。明治維新政府が西欧にならって太陰暦から太陽暦に切り替えたところからくる。同じアジアでも、中国、台湾、香港、ベトナム、韓国は、もちろん太陽暦を使用して社会は回っているが、太陰暦のお正月は太陽暦の正月よりも日本の年末年始のように長期休暇を取って休む。

 今の年末年始の風習をやめろとは言わない。この旧正月も何らかの祝日にしても良いのではないか?特に日本スゴイ教の方々はこういったことを旧来の形を取り戻そうとはしないんだろうか?

「この世界の片隅に」の呉の話です 

 誰かもこの映画を見ての感想に書いていたが、18年の間生まれ育った街だったが、自衛隊の人が街を闊歩し、自衛隊歓迎のお店もいたるところにあり、なおかつ、広には米軍の弾薬庫。

 そういう、軍との縁が切れない街というのが私は嫌でならなかった。

 しかし、この「この世界の片隅に」を見て、すず一家のような人たちが、今と同じように呉弁を話し、物資の少ない中、天皇陛下のためではなく、大日本帝国のためでもない、毎日生きるために必死だったということを、改めて考えさえられた。

 そういう歴史が重なって今の呉がある。

 

 この映画はストーリー性も勿論だが、故郷を考えさせてくれる映画だったなあと思う。

戦争の中の日常を描く映画

 戦争映画というと、四六時中戦場シーンか、悲惨なシーン連続が定番だった。そして、昨今も永遠のゼロなんていうのもあった(苦笑)。

 

 そういう戦争映画や、あと文章を読んできたせいか、庶民も暗ーく沈んでいるように思っていた。昭和一桁の時代なんて真っ暗な社会情勢なんじゃないかと思っていた、まして、対米開戦以降なんて。

 でも、そこに人間がいて、家族がいて、男がいて女がいれば、笑いもあれば、涙もある。今と変わらない社会がある。もちろん、戦争の影は確かにある。それでも、庶民は

一生懸命生き、恋もし、笑いもした。そして、究極の所で、戦争という毒牙が襲いかかってくる。でも、それに毎日、「欲しがりません勝つまでは」と苦虫潰していたわけではない。

 それを認識させてくれた映画は山田洋次監督の「小さいおうち」で、このドラマの主人公のお手伝いさんタキの平成版を演じている大伯母倍賞千恵子から話を口述筆記していく妻夫木聡が発した言葉。

「おばあちゃん、それはないよ、その時代、226とかあってそんな明るいはずないよ」

 はずはなくても、社会というのはそうやって動いて、そこに庶民の日常があったのだ。

 それは「この世界の片隅に」で、すずが言った言葉にも感じる。

 

「すぐ目の前にきたあ思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろう」

 

これは配給で並んでる時の言葉。そして、少ない素材を使って家族の食卓を用意する。配給がなくなれば雑草かったり。庶民は、鬼畜米英だあ、贅沢は敵だといわれながらも必死に生き抜いていた。そして、時に笑い、ながら。それは、お国のため、というよりも今を生きるに必死だったと思う、庶民は。

 

 それでも、戦争は最後にはそれを破壊にかかってくる。

 

そのコントラストの描き方は、「小さいおうち」「この世界の片隅に」共通するものがあるような気がする。

 

 

戦争を描く映画

 戦争映画というと、四六時中戦場シーンか、悲惨なシーン連続が定番だった。そして、昨今も永遠のゼロなんていうのもあった(苦笑)。

 

 そういう戦争映画や、あと文章を読んできたせいか、庶民も暗ーく沈んでいるように思っていた。昭和一桁の時代なんて真っ暗な社会情勢なんじゃないかと思っていた、まして、対米開戦以降なんて。

 でも、そこに人間がいて、家族がいて、男がいて女がいれば、笑いもあれば、涙もある。今と変わらない社会がある。もちろん、戦争の影は確かにある。それでも、庶民は

一生懸命生き、恋もし、笑いもした。そして、究極の所で、戦争という毒牙が襲いかかってくる。でも、それに毎日、「欲しがりません勝つまでは」と苦虫潰していたわけではない。

 それを認識させてくれた映画は山田洋次監督の「小さいおうち」で、このドラマの主人公のお手伝いさんタキの平成版を演じている大伯母倍賞千恵子から話を口述筆記していく妻夫木聡が発した言葉。

「おばあちゃん、それはないよ、その時代、226とかあってそんな明るいはずないよ」

 はずはなくても、社会というのはそうやって動いて、そこに庶民の日常があったのだ。

 それは「この世界の片隅に」で、すずが言った言葉にも感じる。

 

「すぐ目の前にきたあ思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろう」

 

これは配給で並んでる時の言葉。そして、少ない素材を使って家族の食卓を用意する。配給がなくなれば雑草かったり。庶民は、鬼畜米英だあ、贅沢は敵だといわれながらも必死に生き抜いていた。そして、時に笑い、ながら。それは、お国のため、というよりも今を生きるに必死だったと思う、庶民は。

 

 それでも、戦争は最後にはそれを破壊にかかってくる。

 

そのコントラストの描き方は、「小さいおうち」「この世界の片隅に」共通するものがあるような気がする。

 

 

軍都呉 そして 「この世界の片隅に」

  こんなにこの映画でブログを連発することになるとは思わなかった。

  呉という町は軍都で、人口は明らかにされず、一説によれば50万とも言われていたが、確証のある数字ではない。しかし、この映画を見て、呉は広島のような都会ではないが、賑やかな町だったということはよくわかった。

  また、その人口の多くが、海軍であるとか、海軍工廠で軍艦や潜水艦を作る仕事に従事していたというのも、この映画で出てきた。軍縮条約の時、軍艦が作れなくなって失業者があふれた、とかね。

  さらに、その当時の、つまり海軍工廠時代の建物が依然として現役であったり、あの映画の中ですずが町に出る時通った三ッ蔵といい、空襲で焼野原になったとはいえ、今も残っていたり。

 ちょうど、私の母親は、映画の晴美と同じくらいの年齢で呉で育った。親の見た、軍都呉の追体験という側面もこの映画には自分にはあるように思えた。