悠々談談

日々思うことを、つらづらと

お仕事とお給料

年功序列に準じた給与体系。これはたとえば、人生、結婚、出産、子供の進学、住宅ローン、子供の結婚といった人生が進むとお金がかかる。それに対応できるようにと、つくられた仕組みが年功序列の給与。要は会社があなたの人生面倒見るよ、があるいみで本質。
成果主義の会社でも、家族手当とか、家賃手当なんぞあれば、まさに、表づらは成果主義でも、内実は年功序列の給与。だから、転職組に対する給与は、前職の給与を参考に構築せざるをえなくなる。
でも、そういう経済環境ではなくなってきている。
いま言われる、同一労働同一賃金は、この年功序列の給与のままでは、機能しない。あなたは、これとこれができ、なおかつ部下の管理ができるから、たとえば700万という仕組みだし、それを会社、派遣会社が判定していくのだが、その給与査定システムが存在しないと難しい。だから、外資系リクルーティング会社は定期的に色んな職種の給与調査を行う。経営者は、それをみて、自社の給与水準が適正かみるわけだ。そして、会社が個人の能力を適正に評価できるか、の問題もある。
残業代ゼロ法案が議論をよんだが、いまは、残業代が生活給、賞与も生活給の一部にくみこまれているから、制度的に受け入れ難くなる。つまり、この部分だけ先行したら、生活給がけずられるわけだから、不満だけが残る。
無論、制度をそのように変えていくのは、大変なエネルギーがかかるし、時間もかかる。参院選の公約でどうこうできる問題ではない。与党は同一労働同一賃金を公約としているが、それは新しい判断で反故にされるリスクの方が高い。
そういうことを、いまとりかからないと、優秀な日本人は海外の企業にとられ、優秀な外国人の若手もとれない。もう、猶予はない。

雇用の恐怖と住宅ローンから日本人を解放せよ

  住宅ローンは、殊のほか日本人を保守的にする。住宅ローンのために仕事も我慢し、長時間通勤に耐える。ローンを返すため、ボーナスもかなりの部分を取られてしまう。結果、可処分所得は少ない。年末調整でお金が返ってくると言っても、せいぜい期間も限定的。むしろ、金融機関に対する支払いはそれ以上どころか、ローン支払いのうちの3分の1近くに成ったりする。

 

日本人がマイホームにこだわるのは、

 

①高い家賃がもったいない

②マイホームという安心感

 

 高い家賃は確かにそうだ。しかし、その高い家賃も高度成長期と違い、地価の上昇は局地的だし、高く売って住み替えと言うパタンはもう成立しない。

 それでも家を買う。ただ、マイホームと言っても、何十年もお金を借りて返さないといけない。そのために、嫌なことも我慢して会社にしがみつかざるをえないのだが、返し終えた時には、支払ったお金、利息も含めた支払額の、家やマンションの評価は少なくとも上回っていることはない。

 

 まずもって、高度成長期に建てられた家が、子供が育ち、老夫婦だけとなり、家もガタがきて補修しないと第一住めない。結果として、子供は別の場所に家を持ち、空き家が増える。人口が減るからますます空き家は増えていく。地方から首都圏への人の動きも限定的になってきた。

 家賃は下がることはあっても、上がることはない。

 中野区、豊島区あたりは古い戸建てが多く、豊島区は限界集落になるという報道もあった。特に首都圏は震災に対する備えも必要で、今後は空き家対策として、廉価で上質な賃貸物件が政策的に出てくることになると思う。 

 そうなってくると、わざわざ体力を消耗して遠距離通勤にクタクタになることもないのだ。良質の家賃でファミリーの住める賃貸があれば。そうなると、ローンのために働くとはなくなる。そう、

 

人生を楽しむために働く。

 

これが一番、日本人にない生きるためのモチベーションではないか?

 

あっ、雇用の恐怖は次回に

民進党よ、しっかりせい

同日選はなくなったが、参院選がある。民進党の岡田代表は、増税延期を無責任と非難する。
確かに無責任。前回の延期の時の約束が反故にされ、アベノミクスの失敗を誤魔化して選挙に行こうとしてるのだから。
でも、です。増税延期反対なら、増税賛成なの?となる。もちろん、そんなことになったら、経済はどうなるかわからん。ならば、増税しないことを前提に民進党としての経済改革案をだすべきではないか?その前提が消費増税であっても、さきに明るさが見えるなら庶民だって我慢もするさ。
高度成長期の日本を舞台にした山田洋次の映画家族。貧しい一家が、九州の炭鉱村から北海道で酪農家に転身するため、日本列島を縦断する。その途中、福山の弟は、鉄鋼会社の社宅住まいだが、クルマのローンでカツカツ。それでも、一流企業の社宅にすみ、会社勤めを続ければ夢が描けた時代。酪農一家も、いろいろ苦労も重ねながら、明るい春を迎える。
あの頃は貧しくても、夢が持てた。しかし、いまは、ひたすら国民には堪えることしか道がない。これでは、経済は上向かぬ。
そのためには、いまの経済の仕組み、流れを根本から変えないともう制度疲労も限界だ。そうはいっても、改革には時間がかかるし、本当の我慢をしいることになるかもしれぬ。しかし、そこに出口が見えるなら、文句も出まい。
第一次民主党政権では、何かにつけて財源を自民は攻撃材料にした。財源、確かにら大事だが、社会を変えるためには一時的な出血もやむを得まい。そのあたりの、しっかりした工程表、そしてゴールを民進党にはみせてほしい。

本当のワルは舛添ではない

 確かに、めちゃくちゃだ。非難されても、彼の政治家としての感覚は常軌を逸しているから仕方がない。ひきずりおろしたくなるのもわかる。自分もなんでファーストクラスに、ホテルが貴賓室なの?と思う。

 それでも、です。選挙違反の証拠隠滅のためハードディスクにドリルに穴を開けた秘書の代議士は、何事もなかったかのように議員を続け、明らかにもらっちゃいけない金をもらった政治家は、証拠もたっぷりあるのに、病院で選挙対策を練っている。

 結局のところ、頭が切れて、自民党憲法草案を罵倒し、安倍を貶しまくって自民党を出て行った舛添が憎くて仕方ない。それが今回の舛添事件の顛末だろう。ちょうど、ワイドショーにもぴったりのネタ。衆参ダブルはなくても前回のように都知事選ダブルで夢をもう一度とでも?

 そうなったら、悪夢。

 世の中が、総検事社会になって特定の政治家を叩くとき、裏があると思った方がいいような気がする。

憲法の日、過ぎたけど

 もう40年ほど前になるか。日本テレビ竹村健一が世相講談という番組をやっていた。アシステントは小池百合子。やたらと、憲法9条をはじめとして、リベラルの主張に対し、「日本の常識は、世界の非常識」を、独特の関西訛りで人気を博していた。

 ちょうどその頃、帰省すると生長の家のパンフレットがトイレに置いてあった。なんでも近所に信者らしき人がいてしょっちょう家に来ては世間話をして、冊子を置いていったと聞いた。その時、母が私が憲法9条は守るべきだと言ってるというと、今度話がしたいと言っていたらしいが、結局、話すことはなかった。

 

 この本を読むと、ちょうど生長の家が、政治活動を活発化していた頃だった。その後、番組は終わり、小池百合子はその後、自民党のセンセイに。見事に日本会議に収まっている。

 

 この日本会議を隠れ蓑にした旧生長の家グループが力を持ち、今の安倍政権を支えている。そして、憲法改正の眼目が、

 

1 緊急事態条項

2 家制度

 

そして、目指すは明治憲法の復活。本当は、美濃部達吉天皇機関説までは、立憲主義に則った立派な憲法だった明治憲法だが、彼らが目指すのは、結局のところ、1935年から1945年の、国家統制国家日本。

 

 そういう国家統制国家がどういう末路をたどったか。彼らにとっては、ドイツではなく連合国に着けばよかったくらいにしか思ってないんだろう。

 

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 

 

憲法を論争するにしても、立憲主義という土俵を外した議論は、もう虚しいだけだ。論理のぶつかり合いではなく、改憲志向の与党は、感情で論を言うだけ、議論がかみ合わない。

 

立憲主義という土俵を作り直さないと。そのきっかけが、参院選、続くかもれない衆院選

 

そういうことを思った憲法の日だった。

 

この本もよかったなあ。

「憲法改正」の真実 (集英社新書)

「憲法改正」の真実 (集英社新書)

 

 

 

 

 

 

この国はどうなるんじや?

安倍首相は、辺野古にしても、憲法改正にしても、そのあとのビジョンがかけらも感じない。中国包囲網は、ビジョンでもなんでもない。あえてビジョンらしきものは、確かにアベノミクスとやらであったのかもしれないが、失敗。唯一の彼にとっての救いであった株価も、日本の企業に取って大事な3月31日の株価も、前年対比で落ちた。これで、企業の賃金まで削ってため込んだ内部留保も毀損。
そもそも自民党のいう憲法改正は、国の主体が国民から国に移ること。お前らにまかせておけぬということか?でも、国民が権利を行使したくても一票の格差は棚ざらし。裁判所は、違憲判決して法律が変わったのは数える程。目立つのは、尊属殺人罪くらい。もっとも、裁判所の予算は、少なく1官庁並。兵糧を内閣に抑えられているからね。最高裁判事も、政府に逆らう輩はおくりこまない。
これで憲法改正して、好き放題されたらどうなる?あの昭和の戦争も政府と軍部が突っ走ったことが、国民を奈落の底に突き落としたのではなかったか?だから、国民主権じやなかったのか?

今度の選挙も、猫なで声で、経済や福祉をさけび、白けた有権者は投票にいかず、自公が圧勝、憲法を改正を言い出すのは目に見えてる。そして形だけの抵抗をみせる公明。

そういう茶番もう御免こうむりたい。民進党には不満もあるが、やはり、まとまった野党勢力が安倍内閣を駆逐することで、自民党内のまともな勢力が息を吹き返すことになるだろうし、そこから、この国のあり方を国会で議論してもらいたい。

言いたいことは以上。

住宅ローンという名の銀行への家賃支払い

 住宅ローンは、形こそローンの返済だが、銀行へ家賃を支払いに他ならぬ。マイホームとは、耳障りはいいが完全に自分のもの、自分の家になるのは20年、30年先。その頃には、家の価値も、ましてマンションの価値なんぞ、買った途端に500万円価値が落ちる。それだけ月日がたつと家もガタがくる。修繕にお金がかかる。先週の日経ビジネスによれば木造一戸建ては20年たつと価値はゼロだそうだ。

 そして、もう一つの事実。

 中古売買は基本的に個人対個人。消費税は掛からない。そして新築はかかる。国としては、中古不動産マーケットの拡大は困る?でも、その反対効果で中古の空き家が増える。経済効果高めるのは新築。政府も中古市場を作る覚悟なし。

 2020年以降、都内に空き家増加。人々の高齢化。政治がやるべきこと多いはずなんだが。