悠々談談

日々思うことを、つらづらと

パソコン創世記(1)

我が家で初めて買ったパソコンはマッキントッシュPerforma575だった。マッキントッシュといっても今ではわからない人の方が多いだろう。マッキントッシュが詰まってマックになったといえばわかりやすいかもしれない。そう、アップルコンピュータである。そのなかでiMacの前身と言っていいかもしれないモニターとハードが一体型のパソコンである。

 でも、その当時はまだWindows95は出ておらず、インターフェースでコマンド入力しなくてもパソコンが動くのは画期的だった。また画像処理に長けていてキッドピクスというお絵かきソフトが標準装備された。

 このマッキントッシュは確かに高かった。30万円近くした。それでも、使いやすさは勤務していた米国系ゲーム会社で心得ていたし、問題はなかった。

 では、これでなにをしようとしたか。

 パソコン通信である。

 当時は富士通日商岩井が出資のニフティサーブ日本電気が出資のPC=VANが二代勢力であった。そして自分は幾分か使い勝手の良さそうなニフティサーブに加入した。パソコンの裏側には電話の配線用のコネクタ差込口があり、電話の回線を外しコードを差し替えモデムにつなぎ、そこからパソコンにつなぐ。今では想像がつかないほどの遅さ。それでも、文字主体の情報しか存在しないからそれでもパソコンの画面に次々と現れる文字情報に興奮したものだ。

 では、そのパソコン通信で何を見ていたか。それは会議室というコーナーで、テーマごとに分かれていてそこには書き込みを管理するシスオペなる管理者がいたのである。だから炎上することもなかった。

 さて、その何を見たか、だが、それは次回。

求人倍率は景気の指標なのか?

有効求人倍率は景気指標なのか?忙しく需要に応えるため人をいれて生産を増やす。景気が悪くなれば、人を切る。
確かに街中の工事現場、コンビニは人が足りないから時給をあげ人を求める。昨今は外国人の店員も見るし、工事現場はあきらかに年金受給者年齢 の方をみる。でも、それは本当の意味での求人であったといえるのか?こういった職種は非正規で、時給単価も高くない。
一方、デスク仕事は増えているとはい難い。処理すべき件数は増えても、パソコンをつかえば、そんなに手間はかからないし、マンパワーも必要なし。営業職だって、人員をばいにふやせば売上が伸びる時代ではない。かなりの求職者は、そういったところを求めていたりするが、それは有効求人倍率という数字のトリックには現れない。これはミスマッチという簡単な言葉で言い表わされるが、このミスマッチは景気指標の有効求人倍率の行間に隠れていて陽の目を見ることはない言質。

そういうところが、数字の改善で絶賛されるアベノミクスと庶民の感覚の落差の大元のような気がする。

日本にLALALandはないのか?

  若いうちは夢を見ることが許され、ある歳をすぎるともっと大人になれと諭され、食うために夢をすて組織の歯車になり、ひたすらその歯車を回し続ける。そして、夢は、本当に自分がやりたいことは封印してしまいこんでしまう。だから、毎日の仕事が人生を楽しむためではなく、生きるためになり、そのために朝の通勤電車は実に殺伐としている。足を踏まれると踏んだ方が悪いと言わんばかり。

 LaLaLandはロサンゼルスのこと。ここでスターを夢見てウエイターやウエイトレスをしながら、オーデションを受けて行く。大人はそれをいつまでも夢ばかり追ってる人たちと冷笑的言う時の言葉らしい。

 でも、どうなんだろう。確かに霞を食べて生きることはできない。でも、最初からそれを諦め、日本の新卒社員のように、大企業に入ったら老後に備えてお金を貯める。かと言って、老いてしまえば何ができるわけでない。

  昔こんな話を聞いたことがある。本が読みたいがお金がない。それで一生懸命働き、会社を起こし、大成功した。しかし、その時には視力も読書したいと言う意欲もなくなっていたと言う。それに近いことは、日本のいたるところにあるのではないか。若かりし頃、やりたいこと、夢を封印して働いて定年。

  24時間が自由に使えるようになっても、何をすればいいのかわからない。

  もちろん、夢だって誰もが実現するわけではない。米国はアメリカンドリームの国だが、成功よりも失敗する人の方が断然多い。それでも人は諦めない。自分が30代の頃いた米国のゲーム会社のオーナーは、会社は潰れたが、別の会社を作っていたり、もう70代のはずだが、夢を求め続けている。

  人生は一度きり。自分のLALALANDを求めるのも悪くないのではないか?でも、一度の失敗をすれば人生のブラックリスト入りする日本のシステムでは、LALALANDは絵に描いたもちなんかな

     映画の冒頭のフリーウェイ。これなんか、ある意味で渋滞というのは、最もストレスためるものだし、ああいう風に飛び出して踊り出せれば、というのは、やはり、米国社会にもある閉塞感を打ち破りたい願望の表現だったのかもしれない。

 

   この項つづく  

  

 

「この世界の片隅に」サギを追う(ネタバレ)

 空襲の中、すずがサギをおって広島へ行けと追っかけるシーンがある。そして走るそばには、本来あるはずのない海苔を乾かす台が並ぶ。心の中で、妹のすみが広島に帰っておいでえやが、ずっとくすぶりつづけてた「広島に帰る」が、あのサギとなってすずの前に現れた。

 そして、機銃掃射に生死の境を周作と超えた時、帰ると言う。でも、あの時包帯に巻かれた右手と左手がしっかりと周作を抱えている。顕在的には帰りたいと思っても、潜在的はもう北條の人になってたんだと思う。

 見れば見るほど奥が深い映画だと思う。

「この世界の片隅に」多少のネタバレありですが 改訂版

 この映画の後半は右手がキーワードだと思った。

 すずが畑で、敗戦を知ったあと号泣するがそれがピタッとやむ。そして呆然と花に目をやるシーンがある。私は、それがなぜ泣きが止むのかわからなかった。しかし、原作を読んで知った。あの時いなくなった すずの右手が彼女の頭を撫でるのだ。それで、すずが我にかえる。

 映画では右手が出てこないから唐突感がある。

 その代わりに右手が現れるのが、戦争が終わって白いご飯を食べるとき。右手を失ったすずは、スプーンで食べようとするが元気がない。そこへ右手が現れる。そしてすずの頭に手を当てる。

 なんとなく見ていると義父の円太郎かと思ってしまうが、あきらかに白く女性の手。円太郎が黒い覆いをとって食卓を照らすが、それはすずの心の闇をてらしたとも言えるのかもしれない。

   戦災孤児が終わりのとこで出てくるが、彼女は母親が右にいてくれたおかげで助かった。でも、ずっと握りしめていた母親の右手が忘れられず、すずの実際はない右手にそっと寄り添う。

 

 そして、クラウドファンディングの時、右手がりんさんの一生を振り返るが、それは、すずの右手が描く。漫画の原作では周平が大竹に上官のお供で行く時すずが見送るが、その時、

「右手、どこで何をしてるんだろう」とすずが思う。そこから映画のりんさんの一生を描き出す。 

最後に現れる。そして今のすずが、りんと寄り添い、最後に右手が観客に手をふって見送る。

 

なんと奥の深い映画よ。

お正月の挨拶は初春のお慶びと言うけれど

 そのあとに小寒があり大寒がある。とても春とは言い難い。なのにそう言う表現で挨拶をするかと言うと太陰暦(旧暦)の正月の風習をそのまま持ってきたからだ。

 ちなみに今年は1月28日。この日ならば、ああ、春が近いと実感を感じ始めた頃で違和感がない。季節感でいうと、忠臣蔵の討ち入りだってそうだ。雪の中の事件。12月が討ち入りで舞台や映画で上演されるが陰暦だから実際は1月。大寒の頃。なるほど、東京に雪が降り積もるわけだ、と納得できる。

 これもそれも、江戸時代以前の風習を全部捨ててしまったからだ。明治維新政府が西欧にならって太陰暦から太陽暦に切り替えたところからくる。同じアジアでも、中国、台湾、香港、ベトナム、韓国は、もちろん太陽暦を使用して社会は回っているが、太陰暦のお正月は太陽暦の正月よりも日本の年末年始のように長期休暇を取って休む。

 今の年末年始の風習をやめろとは言わない。この旧正月も何らかの祝日にしても良いのではないか?特に日本スゴイ教の方々はこういったことを旧来の形を取り戻そうとはしないんだろうか?

「この世界の片隅に」の呉の話です 

 誰かもこの映画を見ての感想に書いていたが、18年の間生まれ育った街だったが、自衛隊の人が街を闊歩し、自衛隊歓迎のお店もいたるところにあり、なおかつ、広には米軍の弾薬庫。

 そういう、軍との縁が切れない街というのが私は嫌でならなかった。

 しかし、この「この世界の片隅に」を見て、すず一家のような人たちが、今と同じように呉弁を話し、物資の少ない中、天皇陛下のためではなく、大日本帝国のためでもない、毎日生きるために必死だったということを、改めて考えさえられた。

 そういう歴史が重なって今の呉がある。

 

 この映画はストーリー性も勿論だが、故郷を考えさせてくれる映画だったなあと思う。