悠々談談

日々思うことを、つらづらと

世代交替、昭和30年代生まれがんばらないと

 今上天皇の退位。そして浩宮皇太子の即位。

 時代は、昭和天皇(戦前)、今上天皇(戦中)、そして浩宮(戦無)。皇太子は自分と生まれ年は1年違い。もちろん庶民とは違う生活を送ってきたと思う。ただ、直接戦争を知らず、団塊世代と、新人類世代、団塊ジュニアに挟まれた、個性の見えにくい世代。そうなのだ。世代として名づけられていない。

 昭和天皇時代は戦争。今上天皇は子供の世代で戦争を経験。そして浩宮は高度成長前の貧しい日本から駆け上がっていく社会を皇室から見てきた。高度成長そしてバブル、バブルの崩壊。格差社会。先進国に駆け上がり、そして停滞、混沌となった社会を見つめてきた。戦争のことも経験者から直接聞いてきたし、一方、比較的、今時の30代、40代の気持ちもわかる。でもなんでもわかるため、個性が出にくい。

 個性が出にくい、とらえどころがないと言ったって、50代60代は社会を引っ張って行かなくてはならない世代である。まして人口減社会は、未だかつて経験したことのない社会である。そんな日本社会をどうやっていくか。即位される浩宮皇太子の世代、昭和30年代生まれがこの国をなんとかしなくてはいけない。 

 そういえば、来年巨人の監督に復帰する原辰徳もこの世代。現役の時から大選手という印象が薄く、予備校の先生が原辰徳を称して、実績はあるのだけど、どこか頼りないと言ってたが、確かに王長嶋のようなカリスマ的威圧感は残念ながらない。そうはいっても平成も終わるし、広島ファンの私だが、今年よりは実績は残してほしいね、広島戦以外で。

 

 

朝10時の新宿

 久々に朝10時の新宿を歩いた。

 紀伊国屋書店で新刊本を見た後、歩道に出ると、あらかた歩いている人のほとんどが外国人。中国語、広東語が通り過ぎる人の口から淀みなく流れ出してくる。ビックロに入っても日本語よりも外国語の方が多く耳に入ってくる。店内放送は中国語、韓国語が当たり前のように流れてくる。そしてお店側もそうだ。コンビニに入っても日本人の店員に巡り会う方が稀である。

 言うまでもなく日本の商業は、もう外国人抜きには成り立たなくなっている。今日も伊勢丹の向かい側には、そこが乗降場所になっているのか、次々とバスが着いては観光客を下ろして行く。新宿三丁目交差点に免税店があるせいだろう。

 こうなってくると、国益とは何かを考える時、彼らが日本にリピーターとして再来日する、世界から観光客が来ることが一番と言うことになる。そのためには、心地よく日本に来てもらうことが必要。また、日本に来たいと言うモチベーションというか。そのためには、東アジアにきな臭い空気はあってはならないことだ。

 政治はそれを下支えする、それが一番いま求められているのではないか?それに抗するような動きはあってはならない。

書店が消える

    青山ブックセンター六本木店の閉店はさほどの感慨もない。第一、六本木は縁が薄い。あえて縁といえば新卒で入った映画会社が六本木に本社があったくらいか。青山一丁目にあった子会社の事務所から会社の自転車で親会社に行ったり、かつて六本木にあった防衛庁の職員食堂にご飯を食べに入ったが、交差点は稀にしかいかなかった。そしてその会社を辞め、かつ倒産してしまい、それ以来数えるほどしか行ってない。   だから青山ブックセンター閉店のニュースも、そうですかである。

   ところが、思い出深い書店がわたしにはある。いまは取り壊されて大きなビルが建ったが、日比谷三信ビルの地下にあった三信書店。有楽町にあったゲーム会社に勤務していたときから出入りしていた。狭い店内なんだが、自分の興味をそそる本がうまく配列され、5分店内をまわるだけで、買いたい本に巡り会える。書棚がわりとでも言おうか。うまく自分の好きな、興味がわく本にめぐりあえるつくりになっていた。そして店主、店員が本好き。

    でもそういう書店は絶滅危惧種。以前はたいがいのオフィスビルにそんな’書店あったものなんだけどね。その一方、最近ふえてきたブックファーストは取次の子会社。本の種類は多いが、個性のない店ばかり。そしてアマゾン。個性的な、本好きを唸らせる書店には生き残って欲しい。

東京家族と広島

   山田洋次監督の東京家族は、小津安二郎監督の東京物語のオマージュ。カメラアングルで小津を意識したところも心憎いが、平成版の東京物語に落ち着いている。蒼井優妻夫木聡の演技もこの作品に磨きを与えている。

    さて、ここでか書きたいのは山田洋次監督作品には広島が絡む作品が多いという点。小津安二郎東京物語は老夫婦は尾道から上京という設定だったが、今回は同じ瀬戸内海の島の設定。やはり広島。長崎から北海道へ移住する家族の道中を描いた家族も高度成長真っ只中の広島県福山市が登場する。映画故郷においても現呉市倉橋島が登場する。

    広島弁が物語にまろやかさを与えたということもあるのかもしれない。東京家族では橋爪功が広島の古老を見事に演じ切っていたと思う。博多弁や大阪弁ではこういったストーリー構成にはならかったような気がする。

    ただね、そのあとの同じメンバーの家族はつらいよは、東京家族の余韻にしたったうちみるのではなかったという後悔の念。だからすぐに見るのをやめた。

日本の闇はいつ晴れるのか

 青山透子さんの 日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫るを読んだ翌日に北朝鮮のミサイル。

 著書は断定的には書いてないけど、自衛隊の誤射で航空機が落ちて、それを政府も日航も知っていたら。中曽根元首相が墓場まで持っていくという真実。この国には北朝鮮のミサイルよりも国民にとっての脅威があるということを思わざるを得ない。

 123便の事故にしても、なんでここまでもやもやが晴れないのか?

 Jアラートで避難する人を映しても、なんか鼻じらむ。本当の日本人にとっての危機とは何か、北朝鮮のミサイルで思った。

 

 

人生と旅行

 人生は旅行に似ている。

 あそこに行こう、あそこの料理が食べたいと思う。そして想定外なこともあったりする。しかし、帰国する日、旅行の最終日が明日になってしまうと、やり残したこととかを考えるようになる。

 ある都市を旅しても、今日と同じ感想は次回来ても持ち得ない。だから残りすくない時間を一生懸命楽しむ。

 人生も同じだ。若い頃はあれをやりたい、これをやりたいと思う。そして失敗もするかもしれない。しかし、50代、60代になってくると、終日が見えてくるから、無駄なことはしたくなくなる。本当にやりたいことしかしたくなくなる。

 自分は、今ここ、です。

8月は戦争のこと

    8月になると、戦争の悲惨さを語り継ごうという企画や番組がメディアでめだつようになった。考えてみれば、あの戦争のころ子供だったひとももう80歳台。

    それはそれで貴重と思うし、意義はあると思う。そういえば、この世界の片隅にも、そんな語り部の証言をもとに戦争中が再現された映画だった。

   しかし、戦争は嫌だね、で終わっていては、それで思考停止してしまう。では、どうしたらよいか、目の前の国際政治の前には甚だ微力。

    私は語り継ぐべきは、大日本帝国の議会、行政、内閣、そして軍がどうしてあのような戦争に国民を導いていったのか、そのプロセスの検証ではないかと思う。

    あの時の政策決定プロセスのどこで間違いがあったのか、そしてその組織の何が問題だったのか。もちろん、市井の研究者はさまざまな論考を出してはいるが、メディアもこの視点からの企画があってもよいのではないか?300万人の戦死者がでたのである。

     それがわかり、ちゃんと克服されていれば恐るに足らない。しかし、有り体がそのままで今もあるなら、おなじ道を歩むリスクがあるということになる。その検証こそ、メディアで見たいものだ。